横光利一「春は馬車に乗って」|改めて今紹介します

コラム
春は馬車に乗って
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みなさまいかがお過ごしですか

みなさんこんにちは。劇団ののです。

これをお読みのみなさま、今いかがお過ごしですか。

おそらく様々な状況にいらして、決してみなさん通常運行ではないのではないかと想像しておりますが、そんな中、この記事をお読みいただき、本当にありがとうございます。

みなさまの隙間時間のおともに朗読を

劇団ののでは数年前から名作文学を音声作品にして、無料公開でお届けしております。

インターネットさえあれば、どこからでもお聞きいただけます。Podcastからダウンロードしていただくこともできます。

通勤・通学している方は、移動時間やお昼休みのおともに。Stay Home時間を過ごしている方は、お茶の時間や寝る前の時間、お掃除やお料理の時間などのおともに。

自分で読書をするのがめんどうくさい、読んでもイメージがつきづらい、日本語でどう発音するのかがわからない、などなど、いろんなことに使っていただけるかと思います。また、テキストや解説コラム、語彙集などは、日本語の学習やレポート課題のお手伝いになるのではないかと思っています。

先日は、大学院生の方が勉強と勉強の合間のリフレッシュに聞いてくださっているそうで、そんな使い方を想定していなかったので、とても嬉しかったです。

ぜひ、表紙を見てピンと来た本を手に取る感覚で、「いっちょこれでも聞いてみるか」というものをお聞きいただければ、と思います。お金が掛からないのが良いところで、「なんか違うな」と思ったらサクッと違う作品に行ってください!

現在公開されているものの中で、とっかかりとしては、宮沢賢治「注文の多い料理店」や、芥川龍之介「鼻」、夏目漱石「夢十夜 第十夜」などがオススメです。1番、検索数、再生していただいている回数が多いからです。

元祖オンライン劇団?

劇団ののでは、毎週、市民会館やスズキ家に集まっていた稽古を、オンラインで続けています。

この春、様々な劇団さん、役者さん、音楽家さんたちが、プロフェッショナル、アマチュア問わずオンラインで色々な作品を作っていて、その瞬発力がすごいなぁと見ておりました。

わたしたちについてお話しすると、4月頃はなんとなく Zoom で始めてみたのですが、6月に Skype を試してみてからそちらを採用しています。その使用した感覚の比較などについては、また今度、改めて記事にしたいと思います!

うちの劇団は、もともと演出・制作・Web担当が関西と関東に散り散りになっていたため、主にチャットで運営していました。重要な決め事はすべて空き時間に送るチャットかメール。かなりの分量の文字のやりとりをしていて、電話は数年のうち、2-3回しかしていないと思います。

朗読を始めた当初から、進行は Trello というプロジェクト管理ツール、データの共有を Google Drive で行なっています(ほとんど仕事に近いです、締め切りの概念を除けば)

その習慣があったので、今回「オンラインへの移行」という強く意識する機会もなく……運営については特に変化なしで、相変わらずチャット、LINE、Google と Trello でほとんどが完結しています。

稽古も、もともと朗読を音声配信しているので違和感がなく。まずはオンラインで雑談をする会から始めてみて、それなりにスムーズに稽古できるようになりました。社会人の多い劇団なので、土日のどちらかに予定さえ合わせれば、遠方から気楽に参加できて、あまり不便は感じていません。

ただ、それは我々がたまたま Web 中心に音声でコンテンツを作っていたからです。「時代はオンラインだぜ!」「遠隔でもコンテンツは作れるんだぜ!」みたいなポジティブな意志も、あまりありません。対面で会えた方が楽しいこともいっぱいあるでしょう、オンラインでもできることもまだまだたくさんあるでしょう、という感じです。

以前は劇団ののも実際に舞台に立って公演を行っていましたが、経済的、時間的な理由から朗読に移行しました。ある意味では舞台に立つ資源が枯渇した劇団とも言えましょう。

現在も舞台公演という形態で活躍されている劇団さん、パフォーマンス集団さんの知人がたくさんいます。みなさん、ご苦労されながら、迷いながら、模索していらっしゃるというお話をうかがっています。

対面で行う芸術、同じ空間で直に見る芸術には、何物にも代え難い価値があることを、我々も知ってます。

今、芸術家のみなさんが直面しているご苦労は計り知れません。

少しずつでも状況が改善されてゆくこと、何か新しい方策が増えてゆくことを、心の底から祈っています。もちろん、舞台業界に限らず、そして芸術業界に限らずですが。

我々は、我々が今作れるものを、少しずつ、できる分だけ作る、それしかできません。なるべく今までと同じペースで続けて行きたいとは考えています。

今だからこそ聞いてほしいかもしれない話

実は、3月にこっそりと横光利一さんの「春は馬車に乗って」を公開しましたが、しばらく、大きく宣伝をしておりませんでした。

なぜかというと、このお話はいわゆる「サナトリウム文学」だからです。

サナトリウム文学といえば、ジブリで映画化もされた堀辰雄さんの「風立ちぬ」が有名ですね。

「春は馬車に乗って」も同様、登場する夫婦は闘病生活を送っています。妻は結核を患い、もう長くは生きられないだろうと診断されます。己の体を蝕みゆく死に、身を以て、精神を尽くして向き合う妻に対し、看病する夫は、戸惑い、葛藤し続けます。きつい。とてもきつい。

しかし我々も、稽古を始めた2019年の新年から春頃は、「よくある闘病のお話」としか考えていませんでした。

肺炎や結核と言えば、「昔は沖田総司、石川啄木などが若くして亡くなった。不運だ。現在はちゃんと治療して治る」というイメージしか持っていませんでした。

横光利一さんも、ご自身の妻である君子さんを23歳の若さ、新婚生活数年目にして亡くされている、なんて不運な方なんだろう、かわいそうだ、そう思っていました。

その程度でしかなかったんです。

やがて稽古が進むに連れて、妻を演じた溝端育和(みぞばたやすな)さんと梅田拓さんの真に迫る、悲痛を訴えるような演技を目の当たりにし、これは相当な状態だぞ、ということを、文字で読んだ時よりも実感できるようになりました。痰を吐き続ける、咳が止まらない、体がどんどん痩せていく、息が苦しい、天井しか見えない。自分という存在を失う妻と、妻を失う夫の悲しみが、どんどんリアルに感じ取れるようになってきました。

それでも、です。やっぱり、歴史を振り返ったり疑似体験したりして、できるだけ気持ちに寄り添おうとしていたにすぎませんでした。

昨年の夏に収録が終わり、秋頃からテキストの作成や音源編集に着手し、作品のラストシーンに登場するスイートピー(タイトルの「春は馬車に乗って」の由来です)に合わせ、2020年3月の公開を目指しました。

編集を進めている2020年1月頃から、武漢で新型コロナウイルスの感染拡大が話題に上るようになりました。それでも我々は、「その肺病」と「この肺病」を結びつけて考えることはありませんでした。

3月頃……ちょうど「春は馬車に乗って」を公開し始めた頃、世界的な肺炎の流行が本格化し、ニューヨークやイタリアの惨状のニュースが入って来るようになりました。やがてその恐怖は対岸の火事ではなくなり、日本もだいぶ緊迫した雰囲気になりました。

3月に公開を始め、4月の初旬、花屋にスイートピーが並ぶ頃に、全3編の公開が完了する……そんな素敵な計画だったはずですが、すっかりそれどころではなくなり、Twitter や Facebook で「作品を公開しました!」などと宣伝するような雰囲気ではなくなっていきました。タイムラインは、海外の惨状、トイレットペーパーやアルコール消毒の不足、空港の封鎖、子どもたちの突然の休校、リモートワークなどの話題で埋め尽くされていました。

そのような雰囲気になる直前、3月の終わりに退職する方の花束を買いに、吉祥寺の花屋に行きました。多分、「気が緩んでる状況を見るに緊急事態宣言を出さざるを得ない」と判断された、最初の波、「今までの日常の最後の切れ端」みたいな時期だったと思います。閉店間際まで途切れないアトレの人波を横目に「そのくすんだ色のスイートピーを入れてください」と注文しながら、うすぼんやりと「そういえば、あの作品を、今は宣伝できない」と考えていたのを覚えています。

4月、5月になって、いよいよまったく宣伝したくなくなりました。世は「Stay Home」「つながろう」と題して、みんなお家からたくさんのクリエイティブなコンテンツを発信しているというのに。もともとオンラインコンテンツを作っていた我々は、この一大チャンスに、その波に、もっと上手に乗ることができたのではないでしょうか。しかし、不器用な劇団ののは、とりあえず一度、立ち止まりました。

むしろ謝罪したいとさえ思うようになりました。何もわかっていなかったことに対して。わかったような気になった、いや、なろうとしたことに対して。

これは、我々の作品視聴ページに演出のわたしが書いた、「春は馬車に乗って」の紹介文です。

肺病による咳に苦しみ、床に伏せる妻と、そして自宅で仕事をしつつ甲斐甲斐しく看病する夫。
闘病とは何か、死とは何か、夫婦の愛とは何か。
やがて来る別れを前に、2人は時に責め合い、時に寄り添いながら、それぞれの真理を求め続ける。
実際に若くして妻を亡くした横光利一の自伝的小説です。心をえぐるような鮮やかな言葉の押収は、時代を超えて色褪せることなく、現代人の我々に、死と向き合うヒントを与えてくれます。

わたしが書いたこの紹介文に、まず嘘偽りはありません。当時、本当に横光利一さんが書きたかったであろうことが、きちんと、ものすごい技術で書かれているからです。そこに「死と向き合うヒント」は、確実にあります。

ただ、わたしは自分が書いたこの言葉に、当時、深く向き合っていたでしょうか。向き合っていません。何もわかっていません。どの立場で現代人のみなさんに「死と向き合うヒントをこの作品から学んでみたら?」とオススメしていたのか、よくわかりません。一般論でしかないでしょう。よくある映画のチラシの宣伝文句の真似っぽいな、と思いました。わたしは、死となんか向き合いたくないんですよ。だって、指先をコピー用紙で切っただけで本当に痛いし、いやなんだから。

しかし、何のきっかけだったか、5月の終わりぐらいにこの作品を聞き返したことがありました。その時から徐々に、この作品を他の人たちにも聞いてもらいたいと思うようになりました。

やっぱりいい作品だな、というのが純粋な感想です。

それから、出演者の演技が、とても素晴らしかったです。改めて言葉のひとつひとつをちゃんと聞いていると、「あ、わたしだけだったのか、わかってなかったのは」ということに気付かされました。出演者のみなさんは、演じている時からとっくに、ちゃんと「肺病」や「死」について考えて、感じて、演技をしていたんだな、と。そうでなければこの声は出ないだろう、と。

「収束したら聞いてもらおう」「次のスイートピーの時期になったら聞いてもらおう」などという打算的な考えはもういらない、と思うようになりました。

「今だからこそ」っていうのは、そういうことです。ある意味では、わたしにとって、このテーマが「昔の病気」から、より身近なものとなり、より納得がいき、ほんの少し折り合いがついた、という完全に自分のタイミングでしかありませんが。

そもそも、名作にベストタイミングなどありません。梅雨になりました。もうすぐ真夏になるでしょう。どの花屋にもスイートピーはない。「今年」っていうのがもう最悪のタイミングです。でも、いつ鑑賞したって、いい作品はいい作品です。常に。世の中や人間の気分が勝手に変動してるだけで。

インフルエンザであれ、交通事故であれ、新型ウイルスであれ、他の何であれ……闘病も死別も、恐怖でしょう。その恐怖を真摯に丁寧に描いた作品があります。すさまじい言葉が、鋭くてキラキラしたガラス片のような言葉が、たくさんたくさん書かれています。それをとても真摯に読み上げる俳優たちがいます。それをただただ、わたし以外の人にも聞いてみてもらいたくなった。

そして、「春は馬車に乗って」だけに焦点を当てれば、それは「肺病による死」「妻の死」を描いた作品に見えがちなんですけど、劇団ののは、その前後の何作品かを取り上げてみて、「横光利一が愛した妻シリーズ」と題したんですね。全部、朗読しました。そこから何が見えてくるかというと、通して読むと、これらは「妻を失った話」じゃなくて、「妻とどうコミュニケーションしていたか」というお話の集まりなんです。

今後、「慄へる薔薇」「妻」「蛾はどこにでもゐる」などの作品群を通して、夫婦のコミュニケーションの形の変遷を、感じていただけたらな、と思います。

ここで改めて、今、横光利一の「春は馬車に乗って」を、劇団ののの朗読作品として、みなさんに紹介したいと思います。お時間ある時に、ぜひお聞きください。

ただ、体調や気分が優れない方、今聞く勇気がない、という方はどうぞご無理なさらず。それはもう、サンドイッチマンさんのコントとか、アザラシの赤ちゃんとかを見ましょう。

まだ、何もわかっておりません。わたしは何もわかっておりません。今は、横光利一シリーズ、「ごんぎつね」など狐が登場するお話シリーズに、マイペースに取り組んで行きたいと思います。

2020.07.18 演出 Noah

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