キャスト日記:吉田素子『家政婦がキター!』

 

大好評、女中のお徳を演じた女優、吉田素子さん。
彼女が書いてくれた、なんと! 途中までしか書いてないブログ記事です!!!

どうして、途中までなのか。
謎めいていますねぇ。
斬新ですねぇ。
理由はなんでもですね……途中で力尽きたんだそうで!

奥が深い!
深すぎる!
というわけで、皆様には、途中まで読んで、
続きを想像して悶々としていただきたいと思います。

 

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劇団のののブログをご覧の皆様、こんにちは。
この度朗読劇『竹の木戸』にて女中・お徳役を務めました吉田素子です。

 

 

今回「劇団のので朗読劇やるよー」とお誘い頂いて、
二つ返事で参加を表明しました(笑)

昔は声優さんになるのが将来の夢だった私。
その夢は残念ながら諦めてしまいましたが、
「声だけで演じる」朗読劇に興味が湧き、
ぜひ、やらせて欲しいと思ったからです。

 

どんな声色で演じようかな。
イントネーションはどうしようかな。
声の高さはどうやって変えていこうかな。
1人で考えてるだけでもワクワクするのですが、
それをみんなで読み合わせて一緒に作り上げていくのも、
とても楽しかったです。

 

そして稽古が進むにつれて、
これは「声だけで演じる」というより、
「音だけで舞台をつくる」と言った方が正しいなと思い始めました。

今回は劇場でお客様に作品を観てもらうのではなく、
録音した作品をお客様に聴いてもらいます。
当たり前ですが、
舞台装置や照明、華やかな衣装に役者の表情、身体表現は、
一切ここに持ち込めません。

それは大きな制約のように感じ、とても難しいことだと思いました。

私たちの声を含めた「音」だけで、果たしてこの世界が伝わるのか。

 

 

稽古中、私たちは様々な明治時代の「音」を聴きました。
(活気溢れる商人さんの声。鐘の音。)

実際に竹林を歩いて、竹の葉のカサカサ鳴る音も聴きました。
(スズキ家に感謝)

そして、録音する際に現代の音にも気を配りました。

飛行機の飛ぶ音(ぐぉーーん)
車が走る音(ぶぉーん)
暖房機器の音(ぶーん)
ポテトチップスを食べる音(パリポリサクサクボリバリ)

現代にしかない音は極力排除しないと、
「竹の木戸」の世界にお客様を誘うことはできないですからね。

 

ん?

そうか、なるほど…

制約があると思っていた「音だけの舞台」は、
実はその時代の音を入れることで、
すぐにでもタイムスリップ出来てしまうのか“〆(゜_゜*)

 

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「Σいや、ここで終わりかい!」
と、つっこんだそこのあなた。
ずっこけたそこのあなた。

終わりです。

本当に、ここで記事は終わっていました。
「続きはWebで!」じゃないんです、ここがWebですもの。
内容が面白いだけに、続きが気になりますが。

お徳はきっと、これを書いている最中に、ご隠居様に呼ばれて、
ネズミ退治とか、布団叩きとか、梅干し作りとかしているのでしょう。
微笑ましいですね。

 

キャスト日記:Caori『人の心は変わらない』

 

お源の役を演じた、女優Caoriさん。
今まで、幾度となく、シェイクスピア劇などの古典作品に向き合ってきました。
その彼女だからこそ、
現代に生きるわたしたちと、作品の世界を、繋げてくれるように思います。

 

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先日、ちょっとお偉い方から、「現代で演劇やるなら、やっぱり今の人の心を反映した劇をやってほしいよね。今だったらLINEとかTwitterとか? 昔の人にはないツールを使うってことは、やっぱり心理描写も変わるでしょ」と言われ、私は、「一理ある」と思いながらも、すごく反発心が生まれてしまったのです。

なぜなら、ツールが変わったとしても、人の心はそんなに変わらないんじゃないかと思ったからです。

 

 

例えば、平安時代の女性が月を見ながら、いつ来るかわからない男性の訪問を待っている時と、送ったラインがいつまでも既読にならず、「一体いつになったら返事が返って来るんだろう」と悶々としている現代と……一体、何が違うんだろうと思ってしまったのです。

だから、「使う物や環境が異なっても、基本的な人の心理は変わらないんじゃないかと思う」ということを、生意気にも伝えてしまいました。

 

これは、現代ではない劇、古典や昭和・明治時代の作家が書いたお話を演劇にする時は、いつも考えるテーマです。

 

 

今回で言うと、「竹の木戸」は私たちが今生きている時代とは随分違っていて、私が演じるお源さんの家は、貧乏だから、たいそう寒くて、せんべい布団1枚を夫婦2人でシェアするような環境で眠っています。

私が住んでいる家はマンションだから、地面から底冷えすることもなければ、ベッドであったかい布団をかぶっていて、1人で眠っているからといって寝冷えもしません。

でも、寒くて寒くてとても惨めな気持ちや、明日のことが心配になる気持ちが、全くわからないわけではなく。カーテンが薄いから、窓の隙間から風が入ってくると、しんと染みるほど寒くて、しょうがないから、ダンボールとガムテープでなんとなく隙間をふさいでみると、ちょっと、しょんぼりする気持ちに。

寒さが続くと、どんどん落ち込んできて、「そういえば明日ご飯を作るための肉がないんじゃないか」とか、
「いや、でも、お肉って最近高いし、魚にしようかな」とか、「うーん、でも魚も値上がりしているし、いっそ大豆でハンバーグをつくらなくてはいけないんじゃないかな」とか。

そのうち、「来月の携帯代がものすごく高いんじゃないかと」心配になってきて、「ああ、そういえば、光熱費も高めかもしれない」と思うと、いてもたってもいられなくなったり。別に、今の自分がものすごく貧乏というわけではなく、普通なのだけれど、なんだかいらないことがどんどん心配になって、不安な気持ちになってきたりすることもあるのです。

 

 

隣の芝生は青いと分かってはいても、他の人たちと自分を比べて落ち込む日があったり、「あの人は自分と同じような年で同じような境遇なのに、頑張っているんだなあ」と感心してみたり。誰かの正しくない行いを見付けてしまった時、なんとなく表沙汰にするのが面倒で、見て見ぬふりをしてしまったり。

これはちょっとした一例ですが、「竹の木戸」の登場人物たちの感情のひとはしを、現代の自分も似たように感じることがあります。

 

 

生きる時代によって、人の感じる感情が全く同じとも思わないのですが(ちなみに、これは「君の名は」がヒットした理由をスマートフォンの流行になぞって書かれたネット上の文章を見て、はたと膝を打ったことに基づきます)少なくとも同じ瞬間はあるわけで、それはシェイクスピアでも、もっと昔のギリシャ悲劇でも言えると思います。

だから、あえて自分と登場人物を遠ざけないで、自分に近付けて考えてみたり、はたまた、わざと遠ざけてみたり。色々なアプローチで脚本に向き合えるのが、演劇の面白さだとも思います。

 

 

今回も、今とはちょっと違う時代と、違う環境のお話で、ともすれば「近寄りがたい」「なんだか、おかたそう、わかりづらそう」と言われることもありますが、全然そんなことはなくて、現代に生きる自分たちでも理解できる気持ちが散らばっています。

 

劇団のの「竹の木戸」お楽しみに★

 

スタッフ日記:制作 加藤綾音『行間にある心…。』

 

こんにちは。劇団のの 制作の、あやねです。

 

今回、朗読の作品を選ぶにあたり、
最初に「竹の木戸」を読んだ時に残った印象は、
その臨場感と生々しさでした。

淡々と日常を描いている作品でありながらドキリとさせられる、
肌感のある作品だと思います。

言葉の端々やら、所作やら、物言いやら、物言わなさやら……。

登場人物は「つい昨日会ったあの人か」というような鮮やかさで、
時代を超えて近付いて来るのに、ひとことでは説明できない。
鮮明なのに複雑です。

 

先日とある国際的な集まりで、
日本の人の慎重さ、主張の無さに焦点が当たった時がありました。

「何も言わない = 考えがない、もしくは恥ずかしがり屋」

と映るらしい。

しかし実際は、
「どう言おうか考えているうちに会話が進んでしまった」
ということも……。

案外、何も考えが無いのではなく、
考え過ぎて言えない時もあるのですよね。

「それを“inside busyness=内なる忙しさ”と言ったら、少し伝わるかな……」
なんて話していました。
行間に色々詰まっているのです。

 

国木田独歩は、作中、
たまに会話の行間の「心中(しんちゅう)」を書いています。
会話そのものから伝わってくるものもあります。

6月のワークショップを通し、
朗読とは、この「行間」を深め表現してみることで、
作品の中の人の、心に出会う挑戦だと思いました。

どんな心と表現に出会えるのか……
楽しみながら取り組みたいと思っています。