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これは華麗なる一族だ!

本日も、宮沢賢治『注文の多い料理店』。

 

 

今日は紳士が両方とも揃っています。

 

 

どちらも、都会で贅沢をしているのか、やや太っているという設定なのですが、2人とも、標準より痩せ型、脂肪体質ではなく筋肉質です。

太っている役を演じようと、中尾彬さんの声真似をする栗田ばねさん。「しの、しの」と、奥さんを呼んでおります。太っている声を出そうとすると、アメリカのコメディー映画に出てくる人みたいな喋り方になりますね。しかし、梅田くんが喋ると、なぜか「お腹が空いたアホの人」「与太郎」のようになります。

 

 

ところで、2人の紳士なのですが、名前がないのですよね。「はじめの紳士」「もひとりの紳士」と書かれているだけ。はっきり分かっているのは、紳士は2人出て来るということだけ。

劇団ののでは、セリフを「 」に入れて、セリフとして改行し、役の名前を入れているのですが。

実は、元の本文には、どれが誰の発言なのか書かれていないのですが、今回わたしたちは、はじめに看板を読み上げて疑問を持つ方を紳士1、それに対して「こういうことじゃない?」と提案をする方を紳士2に設定しました。よく分からないものは、順番に従って交互にしています。

 

 

しかし、「紳士2の、こじつけが凄い!」という話になりました。ポジティブですよね。「こういうことじゃないかい?」と、よくもそんなにいい方に解釈できるね、と。

 

 

さて、場面が変わって、ドアの向こうの厨房にいる山猫さんたちの会話です。

 

 

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すると、戸の中ではこんなことを言っています。

山猫1「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないようだよ。」
山猫2「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」
山猫1「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉れやしないんだ。」

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これは、場面が切り替わり、ドアの向こうの厨房が映し出され、山猫さんたちが動いている姿を想像してしまいます。

しかし、「戸の中では」と書いてあるので、「あくまでも紳士側から見て、ドアの向こうから声が聞こえて来ているのかもしれない」という話になりました。

よく読んでみると、紳士たちは物語の中で一度も山猫たちの姿を見ていないことが分かります。彼らは、ドアの鍵穴から、こちらを見ている青い眼玉を目撃しています。また、ラスト、生き返った犬がどこからともなく現れ、ドアの向こうに飛び込んで行った時には、「にゃあお、くゎあ、ごろごろ」という鳴き声が聞いています。

実は、これが山猫だったのかどうかも、文中にはしっかりと書かれていません。レストランの名前が「山猫軒」であること、鳴き声が「にゃあお」だということから、山猫だと推測するしかありません。「すると、戸の中ではこんなことを言っています」という文には主語がありませんから、発言者が山猫だとは、本当はどこにも書いていないわけです。

と、いうことで、わたしたちは、ドアの向こうから声がしているということにしよう、という結論に至りました。音源編集する際には、「リバーブ」という効果を掛け、音声が少しこもっているようにすることができます。

 

 

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山猫1「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないようだよ。」
山猫2「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」
山猫1「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉れやしないんだ。」
山猫2「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」
山猫1「呼ぼうか、呼ぼう。

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山猫のセリフも、紳士と同じで、どちらの発言か書かれていなかったので、2匹いて、交互に喋っているという設定にしました。

構図としては、山猫1がドアの方を覗き、紳士たちの様子に気付く。山猫2に話しかける。山猫2の方が、少し頭がいいというか、冷静に批判したり分析したりして返事をしているように感じます。山猫1の方が、起きている状況や、山猫2の提案に対して動いている、そして瞬発力がいい感じです。

山猫2は、親分が書いた看板の文言に批判をしています。そして、山猫1は親分のケチさに愚痴をこぼしています。なので、すぐ近くには、親分はいないようです。

 

 

ところで。

親分って、誰なんですか? という話になりました。

親分の提案や指示でこのレストランをしており、この手下の山猫たちが実働するシズテムなのには間違いありません。しかし、もしかしたら、親分は山猫の姿をしていないかもしれませんね。もっと何か強大な見えない力なのでしょうか。『もののけ姫』のシシ神様みたいな。

それともやっぱり、北野武なんでしょうか。だいたい、政界の裏の大ボスとか、軍隊のトップとか、正体が明かされると、北野武じゃないですか。

 

 

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山猫2「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」
山猫1「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい。」
山猫2「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」

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ここは、演技としては、山猫2の「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」というセリフの言い方が肝心です。

なぜかと言うと、その次の山猫1の「呼ぼうか。呼ぼう」の言い方に影響が出るからです。

山猫1の「呼ぼうか。呼ぼう」というセリフは結構難しいセリフだと思います。「呼ぼうか」という自問自答から「呼ぼう」という結論を出すまでの間に、どのぐらいの思考や決断が働くか。それによって、間の取り方や言い方は随分と変わります。

山猫2が「それはぼくらの責任だぜ」というセリフを、気だるいクールな感じで言うと、親分への日頃の愚痴に近くなります。「どうせ、今回もまたぼくらのせいになるんだろうな〜」と、ちょっとやる気を失っている状態ですね。そうすると山猫1は、このセリフを聞き、少し自分で考えたあと、「では、呼ぼうか……?」と空中に独り言のように言い、また少し間を空け、それを自分で後押しするかのように、「よし、呼ぼう!」と決心することになります。

しかし逆に、山猫2がもう少し、前のめりに、山猫1に向かってしっかり言ったとすると、「おいおい、放っておいたら、またぼくらの責任になるんだぜ!? どうする?」とけしかけたようになります。すると、これを受けた山猫1の返しは「お、じゃあ呼ぼうか? よし、そうだな呼ぼう呼ぼう!」という、勢いのいい言い方になります。

そして、次の「おい! お客さん方!」という威勢のいい大声に繋がって行きます。

 

 

Caoriさんは、後者を選びました。山猫1に続いて自分も「らっしゃいらっしゃい」と叫ぶので、そこまで持って行くのには、山猫2も、ある程度のモチベーションを高めておく必要があると判断したためです。

演技というのは、相手の出したセリフや前後の行動によって、1つのセリフの言い方が変わって来るのが、面白いですね。

 

 

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山猫1「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角のクリームが流れるじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃい。」
山猫2「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます。

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ここで、山猫1が「へい、ただいま。じきもってまいります」と挟んでいます。これは、紳士に向かって叫んでいる途中、せかしてきた親分に話し掛けていることが分かります。

別室にいた親分が、こちらの部屋に現れて、そばまで来たのでしょうか。それとも、別室にいる親分が呼び掛けて来たのでしょうか。どうやら、まだまだ奥に親分がいるようです。

さすがラスボス、北野武。

 

 

近頃、タブレットで朗読をする戸塚くんですが。ペンで書き込みも行えて、とても便利なようです。同時に調べものもできますし。

 

 

「ちょっと貸して」と、得意げに書き込みをする、Caoriさん。

 

 

相合傘でした。

 

 

戸塚「BLかよ」

Caori「あ、消したらダメだよ」

戸塚「はい」

 

 

Caori画伯の書き込みも、吉田素子画伯と並び、なかなか個性溢れております。

 

 

何を表しているのか分かりません。精神鑑定に出した方がいいかもしれません。

 

ちょっと、この写真の中に発見してしまったのですが。

 

 

本当に心配です。

 

 

最後に、ラストで助けに来る、プロの猟師さんの声が、梅田くんに決まりました。

 

 

正確に言うと、梅田くん渾身の、平泉成さんのモノマネに決まりました。

『華麗なる一族』ばりの、「旦那あ、旦那あ」を、どうぞお楽しみに。

『注文の多い料理店』の見所は、そこです。全編通して、そこです。

これは平成狸合戦ぽんぽこだ!

本日も、宮沢賢治『注文の多い料理店』。

暑いので、がぶ飲みメロンソーダです。よく分かんない道端の自販機で、よく見かけるやつです。

 

 

今回の稽古で決まったのは、ナレーションの合間に出て来る、看板の文字の読み方です。

最初はナレーターの戸塚くんがそのまま読んでいたのですが、山猫役の吉田素子さんが読むことになりました。

栗田さんから、「もっとAIの自動再生の音声のように読んでください」と指導が入ります。

なぜ、吉田さんに決まったかというと、吉田さんの声が1番機械から出る音声っぽくて上手かったからです。

 

 

看板の指示書きを、平板な、無感情な口調で読んで行きます。

 

 

「RESTAURANT 西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒」

は、どうするんだ、という話になり、最初は英語の人と日本語の人が同時に喋るというのをやりましたが、意味不明なので、なしになりました。

 

「当軒は注文の多い料理店ですから どうかそこはご承知おきください」

と、早速日本的な注意書き。

 

そして紳士たちは、どんどんドアを進み、指示通り、服を脱いで、体にクリームを塗り、食べられる準備が進んで行くわけですが。

 

ここで、

「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます」

が来ます。

栗田さんから、ここでちょっと悪意を匂わせるように指示が入ります。無感情な機械音声でありながら、何か少し意図を感じるような、聞き手に裏の糸を感じ取らせるような、含みのある言い方。難しいですね。

 

 

そしていよいよ、

「大変結構にできました。さあさあおなかにおはいりください」

のところです。

ここは、「お部屋のお中にどうぞお進みください」という意味と「食べられちゃって、お腹に収まっちゃってください」というダブルミーニングがありますから、「おなか」の発音が難しいのです。

 

 

どちらとも取れるように読むのに、「こう〜、四分音符の×の音符に、1つずつにテヌートが付いてる感じで読んだら?」と言って、「わからん」と言われた、ノアさんです。

 

 

まぁ、要は、ヌメッと、1つずつの音を音程を持たせないように読むと、どちらとも取れるのではないか、という提案です。

 

今回の稽古では、BGMを掛けながら演技をしてみています。山に吹き荒れる風の音、ドアがバタンと閉まる音など。いっきにリアルな雰囲気になります。

場面に合う曲を探す、栗田ばねさんと、スズキヨシコさん。

 

 

これがなかなか難しいです。

普段は音源編集の段階で探していますが、収録した音源をいじる時間よりも、ぴったり来るBGMを検索したり視聴したりしている時間の方が、大半かもしれないです。

 

音楽においては、何もしない、吉田さんです。

 

 

ところで、考えてみると、この作品、つくづくジブリを感じます。もちろん、スタジオジブリ作品や、ジブリ以前のアニメ作品で、宮沢賢治さんの童話の影響があるのは有名です。『となりのトトロ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『もののけ姫』など、動物が喋るお話からは、特にそれが感じられます。

今回感じたポイントは……

 

 

冒頭、山で遭難した際に、白熊のような2頭の犬が泡を吹いて死んでしまうというのですが、『もののけ姫』の山犬、モロの娘たち2頭が出て来てクライマックスのところで戦って死んでしまう場面を思い出します。

訳知り顔の軍服を来た男が、欲をかいて災難に遭うのも、『天空の城ラピュタ』など、よく出て来る構図です。

また、山猫軒そのものですが、『平成狸合戦ぽんぽこ』の中で、狐が経営するレストランに似ています。そろばんをかき鳴らして歌う狐さんが、バブルらしいコンパニオンを引き連れて、狸たちを接待するレストラン。最後は風でお札を巻き上げながら、レストランは空に飛んで消えて行きます。

自然と、都会化された拝金主義の人間が対立し、戦う構図は、ジブリアニメにはつきものですよね。

ただ、ジブリアニメの方では「共存する道はないのか」という色が濃いように思います。

『注文の多い料理店』では、山猫側が勝ち、人間側は恐ろしい目に遭って、顔が恐怖で元に戻らないという罰を受けます。

奇しくも、夢野久作の『きのこ会議』も、自然界のキノコたちと人間の対立を描いています。こちらは、キノコたちが「人間になど負けない」と会議をして、意気揚々と盛り上がっている直後に、キノコ狩りに来た人間の家族が来て、あっけなく踏み潰され、蹴散らされてしまいます。

『注文の多い料理店』は、自然の脅威の前で人間はやはりは無力であり、太刀打ちできない、という話、『キノコ会議』は、人間はやはり力があり、自然界をどうとでも破壊できるという話、と言えるでしょうか。

どちらも戦前、日本が文明開化し、急速に近代化し、第一世界大戦に勝った後に書かれたのですから、興味深いです。この頃、近代化・都会化に猛進する人類の驕りと、自然回帰の思想は、作家の心に影響を与えていたのでしょう。

 

 

しかし、これはCoariさんが発見したことなのですが、『注文の多い料理店』で、最終的に紳士を助けてくれるのは、動物側であるはずの犬たちなんですよね。遭難した最初に犬が死んだ時、飼い主である紳士たちは、ちょっとだけ瞼をめくって「僕は2400円、損した」「僕は2800円」などと冷たいことを言うのにもかかわらず。見捨てたペットに、救われるのです。これもとても不思議なエピソードです。賢治は何を思ってそうしたのでしょうか。