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『オイル』アンケート -10-

当日、開場でお客様にいただいたアンケートです。
お答えできる御意見には、なるべくお答えしながら、御紹介させていただきたいと思います。

今回は、
「作品を御鑑賞になり、
 何か思い出されたことがありましたらお聞かせ下さい」
という質問にお答えいただいた内容です。

※なお、「掲載可」とお答えいただいた御回答のみを使用しております。

 

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アンケートを拝読し、涙が溢れてくるような気持ちになりました。
皆様の大切なエピソードやお考えをわたしたちのために教えていただき、
本当にありがとうございます。

 

「昔の戦争や、今の事件・戦争」

「これは人為的な惨事ではありませんが、
 東日本大震災のことが少し脳裏をよぎりました。
 『いつかは忘れてしまうものなの?』
 という富士の問いかけには心に刺さるものがありました」

 

 他人は忘れてしまいがちですが、当事者にとっては、
 いつまでもいつまでも、痛みや苦労が残ります。

 

「9.11を受けての『オイル』が3.11以降にもぐっとくる。
 日本-アメリカ、イスラム-アメリカ、WWII-9.11を、
 平行軸でとべるのは演劇の魅力だなあ」

 

 その通りですね。
 このような、メタファーで時空間をどんどん移動できるのは演劇ならでは。
 野田秀樹さんは、特にこのような演出方法の先駆者として、
 演劇界ではみんなをあっと言わせたお方です。

 

「9月11日のこと。
 3月11日のこと。
 その後からずっと今までのこと。
 ずっと引き裂かれていた自分を思い出しました」

 

 『引き裂かれていた自分』という言葉を印象的に拝読致しました。

 最近、ちょうどそのことについて考える出来事がありました。
 いつの間にか、東京都を初めとする関東圏の人々は、
 「被災地復興支援」を “する側” に回っていました。
 もちろん、今はほとんど元通りの生活をしている人々ですが…
 当日、命の危険を感じる恐怖を味わったこと、
 電話が一切通じず、家族の安否が判らない焦燥感と孤独感、
 食べ物や電力が全てストップして抱いた、今後に対する不安感、
 長く続いた、鬱々した重い空気と、それでも自分たちは恵まれているという罪悪感…
 これらの気持ちが、消え失せたわけではないのに、吸収されたわけでもないのに、
 何か、自分たちはそんなことを口にしてはいけないのではないかという自制から、
 そのことについて、じっくり考えたり、話し合ったり慰められたりする時間は、
 きちんと持たれていないように思いました。

 

 ★

 

「学生時代、戦争を経験した人の言葉を思い出しました。
 目の前で友人が機銃掃射で撃たれ、亡くなられたそうです。
 そのことが今でも忘れられない、アメリカが憎いとおっしゃっていました。
 そのことを思い出しました」

「やはり祖父(ルソン)と大叔父(シベリア)ですね」

「最近、古市憲寿さんの『誰も戦争を教えてくれなかった』を読んで、
 戦争を伝えていくことの意味を考えていました。
 この舞台も併せてまた考えてみたいと思いました」

「戦争の話。
 祖父母から何度も聞いていたのに忘れてしまっていました。
 忘れてしまっていたことを思い出させてくれる良い作品でした」

「父が特攻を寸前でまぬがれたこと」

「戦争について様々な視点から考えられた」

「戦争と平和という永遠のテーマについて考えさせられた」

 

 お父様が特攻隊での出撃を免れたからお生まれになった、
 そう思うと、1つ1つの命が大変な奇跡です。
 お父様、本当に、よく御無事でお帰り下さいました。

 学生時代にお友達を目の前で、しかも機銃掃射で亡くす……
 想像のつかないことです。
 学生時代というのは、本当は、人生で最も瑞々しく輝かしい、青春の時です。
 そんな時に、学徒動員で汗を流し、不安な思いで過ごし、授業もままならない。
 やり場のない思いを抱いてしまいそうです。
 今も世界中に、そんな子どもがたくさんいるのですね。

 

 ★

 

「原爆を知らない私。
 原爆を知らない年齢の人々が演じる大切さ。
 おどろいた」

「はだしのゲンを読んだ時を思い出しました」

「原爆とかのことを考えました」

「長崎の原爆記念館に訪れたときのことを思い出しました」

「偶然ですが今年の夏、広島に行きました。
 原爆ドームや平和記念公園・資料館、
 全てが劇内で生かされていて、
 もっと見ていたかったし、もっと多くの人に見てほしいと思った」

「一度広島で原爆平和記念館を見て、
 あれはこの作品に通じるものがあります」

「親友の母親が広島で原爆投下されたこと」

「原爆に関するアメリカ(今の)の考え、日本人の意識、世界の理解を、
 見直すことをずっと試みないといけないなと改めて思った」

「この夏、広島の平和祈念資料館に行きました。
 そこに展示されていた諸々にこめられていたものは何なのか、
 本当に反戦・反核と呼んでいいのか。
 それだけで語れるものなのか。
 考えました。
 そういえば祖母はヒバクシャだった」

 

 小さい頃、初めて原子爆弾について知った時は、
 本当に、世の中にそんな恐ろしいことが起きたということを、
 信じられない、想像がつかない気持ちで、受け止めきれませんでした。
 今でも、同じ気持ちです。

 日系アメリカ人の方々も、たくさん被爆して亡くなったそうです。

 

 ★

 

「南京大虐殺のビデオを中国で見せられたことをふと思い出しました。
 あれが事実かどうかは今も尚わからないけど」

 

 日中戦争では、多くの民間人が巻き込まれて犠牲になったことだけは確かですね。
 中国の八路(はちろ)軍が強く、日本軍の予想外に8年も長引いた戦争でした。
 既にここで疲弊していたのですね。

 

 ★

 

「9.11のその日、アメリカにいた事」

「9.11を思い出しました」

「9.11のあの日見た映像を克明に思い出しました」

「9.11のときの衝撃的な映像が頭をよぎりました」

 

 『オイル』は、米国同時多発テロ事件の直後に書かれた脚本です。
 既に、オイルのメンバーの中でも、年少組のほとんどが、幼い頃だったために、
 あまりはっきりと衝撃を持って覚えている事件ではないようです。
 年長組の世代は、この事件をきっかけに国際問題により興味を持ち、
 大学で何を学ぶべきかを初めて明確に心に決めた人が多いようです。

 その時にアメリカにいらしたのですね。
 不安な思いをなさったことと思います。

 

 ★

 

「ついきのうゼロダークサーティについて知人ではなしあいもめたこと。
 湾岸戦争、9.11、ビンラディンの殺害。
 それじゃあおわりにならない。
 例えそうでなくてはならなくても、
 私はそうであってはいけないのだと言い続けたこと」

 

 お話をしてもめられたとのこと。

 日本では、犯人を殺害せずに逮捕し、
 生い立ち・精神状態・事件の経緯などを細かく詳しく調査・分析し、
 その思想、事件に対する考えを聞き出すべきだ、という考えが根強いですね。

 フセインとビン・ラディン…
 何を考えていたのか、とてもとても知りたい2人が亡くなってしまいました。
 統率者や指導者が亡くなっても、それは「殉死」となり、
 その死を弔うかのように、集団は勢力を増してしまうかもしれません。
 そしてまた新たな指導者や統率者が現れるかもしれません。
 「それじゃあおわりにならない」ですね。

 国際社会では、より速やかに犯罪の種を鎮火することに重きが置かれ、
 時には人質の生命が最優先に確保されない状況もあるようです。
 アルジェリアの人質事件では、そのことが争点になっています。
 少し規模が違いますが、ボストンの爆破テロ事件でも、
 容疑者の兄弟が逃走中、主犯格の兄の方が射殺されました。
 彼ら一家も、故郷の紛争や政治的理由に翻弄され、
 ずっと苦労した生い立ちを抱えています。
 何を考えていたのかを訊きたかったですし、罪を償ってほしかったです。
 
 

「イスラエル・パレスチナの友人が、
 それぞれの家族・友人の受けた辛いことを話し出すと、
 それまでどんなに個人個人として分かり合えていても、
 うまく話の終着地点を見つけられずにぎくしゃくとしていたのを思い出しました。
 どちらも、個人としては理想の解決策を頭で理解していても、
 その憎しみや悲しみを前にすると自分をどうすることもできないようでした」

 
 
 当事者同士だけではずっとぎくしゃくしてしまう問題にも、
 間に入れる他人がいるだけで、全然違うと思うのです。
 もしかしたら、その時、貴重な存在となっていたかもしれませんね。

 

「シリアのこと、自分のおばあちゃんとシリアにいるかぞく。
 今のじょうたいの。
 I remembered Syria and all the people that are dying everyday
 in my own family as I sit here enjoy everything so happily
 practically ignoring everything,
 barely even contacting my own parents.
 I don’t doubt changing humans greed,
 but will be arrive.
 But I just want to appreciate and think of them more.
 Not just my family and not just human life
 but all life in connection.
(わたしは、なかなか両親と連絡を取ることもせず、
 こうしてここに座り全てを忘れて幸せに楽しんでいる時にも、
 毎日のように亡くなっていくシリアの人々のことを思い出しました。
 わたしは、人々の欲望はいつか変わっていくと信じています。
 でも、わたしはただ彼らにもっと感謝したい、そしてもっと考えたいと思います。
 わたしの家族のことだけでなく。
 そして人類のことだけでなく。
 つながり合っている全ての命について)」

 

 シリアは今、とても大変な混乱状態が続いていますね。
 大勢の難民が隣国に避難し、巨大なキャンプが築かれています。
 街中ではしょっちゅう銃撃の音が聞こえてきますし、
 自爆テロの跡の自動車が放置されています。
 でも、警察の見回りがあるので、報道のインタビューに対しても、
 市民は政府への不満を言えず「安全だし平気ですよ」と答えます。
 
 シリアの援護にはイランがついていますが、
 この辺りの地域で大きな衝突があると、また石油の問題が生じるかもしれません。
 日本にも、関係のない話ではない…
 こうしてやはり、世界は『オイル』になってしまうのですね。

 

 ★

 

「原発問題に頭がいきました。
 今の時期にこの作品を選んだのは有意義だと思いました」

「状況が変わると手のひらを返すように言うことや立場を変える人々が、
 3.11の原発問題のYes/Noなど、様々なことにリンクしました。
 「復讐からは何も生まれない」と人は言うけれど、
 本当にそういっていいのは苦悩し、
 葛藤してそれを乗り越えた人だけなんだろうな…と思いました。
 こういった演出の劇は初めて観ました。
 とてもおもしろかったです」

「エネルギー関連の業務につく自分には考えさせられる内容でした」

「オイル・石油が世界を支配している。
 石油に変わるエネルギーが代替される日が来ることを願います。
 安価で誰でも使用できるエネルギーが次世代を、全ての人々を、
 豊かにしてくれることを願っとります」

 

「本当にそういっていいのは苦悩し、葛藤してそれを乗り越えた人だけ」
 確かに、並々ならぬ苦労の道を歩み、葛藤している人を目の当たりにすると、
 簡単に「お気持ちは解りますが」「恨んでも仕方ありませんよ」とは言えません。
 でも、「自分には全ては解りませんが」「一緒に考えましょう」とは言っていいはずです。
 実は、その苦労の渦中にはいない客観的な誰かが、興味を示してくれたり、
 少し楽な考え方や他の角度からの視点、広い視野を提示してあげることは、重要です。
 そして、それをできるのは、他人だけです。

 エネルギーは、本来、全く悪いものではありません。
 わたしたちの生活はエネルギーに支えられています。
 エネルギーとの上手な付き合い方は、ずっとずっと人類の課題になっていきますね。
 現在、原発事故のあったチェルノブイリには、
 汚染のために立ち入り禁止区域に指定された柵の中で、
 頑なに、立ち退きをせず、元の家に暮らしている人々がいます。
 家族が自動車で食べ物や生活用品を運んで来てくれて、生活を続けています。
 たとえ汚染されていようと、ふるさとはふるさと、我が家は我が家なのだそうです。

 

靖国神社へ

9月公演『オイル』の稽古期間には、
8月6日と8月9日の、原爆投下の日、そして8月15日の終戦の日がありました。

8月15日、わたしたちは、靖国神社を訪れました。

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市ヶ谷の駅前から物々しい警備です。

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夏の日差しが照りつける中、大勢の方々が日本中からお参りに。

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熱心な方たちも沢山いらっしゃいます。

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大きな第二鳥居です。

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拝殿にお詣りするのには、大変な列が。

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団扇を持つ腕にも汗が光ります。

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お詣りを致しました。

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とても暑いので、熱中症予防のために、
ミストが撒かれたり、冷たいお茶を提供していました。

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涼しそうですね。

 

そして、戦争に関する資料を収めた遊就館へ。

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遊就館には、零戦を始め、
実際に第二次世界大戦で使用された大砲や、軍歌のCDなど、
様々なものを見学できます。

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木陰に、馬や犬の銅像も見つけました。
戦争で犠牲になったのは人間だけではありません。
多くの軍用犬や軍馬も戦死した魂として慰霊されているのですね。

 

平和を願う白い鳩たち。
ここで300羽ほど飼育されているそうです。

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メンバーそれぞれの祖父母から聞いた戦争体験など、
心に浮かんだことを語り合いました。

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遊就館にて、印象深い出来事がありました。
80〜90代に見える男性に話しかけられました。
「僕は戦争の頃は小学生だったんだ。
 村中の、大きなお兄さんが兵隊に取られていって、
 みんなどんどん亡くなったんだ。
 僕は生きていて良かった。
 今まで、ここまで生きて来られて、本当に良かった。
 だって、生きていたからこそ、
 こうして君らみたいないい子たちに会えたんだもの」
とおっしゃって下さいました。

わたしたちこそ、あなたに出会えて良かった、と思います。
本当に、生きていて下さって、良かったと思いました。
お元気でいていただきたいです。

 

『オイル』アンケート -9-

当日、開場でお客様にいただいたアンケートです。
お答えできる御意見には、なるべくお答えしながら、御紹介させていただきたいと思います。

今回は、
「作品を御鑑賞になり、
 何か思い出されたことがありましたらお聞かせ下さい」
という質問にお答えいただいた内容です。

※なお、「掲載可」とお答えいただいた御回答のみを使用しております。

 

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「日系人の3人が、
 自分たちの親(日系一世)のつらい思いを話していたシーンで、
 在日コリアン一世の苦労や今の自分(在日コリアン四世)
 があることについてふと思い出し、胸が熱くなりました。
 復讐は色んな情を含む…究極の愛の形といいますか、
 そういった激しく強い人間の感情のひとつですね」

 

 御自分のバックグランドをお聞かせいただきありがとうございます。
 無知でお恥ずかしいのですが、
 在日コリアンはもう4世代目になることに驚きました。
 誇れる御先祖様ですね。
 御自分のルーツがはっきり判るというのは、羨ましくもあります。

 

「前に付き合っていた韓国人の女の子の言葉を思い出した。
 『韓国の文化はうらみなの。だから愛も深いの』」

 

 ロマンチックなお言葉ですね。
 確かに、愛と真反対にあるのは実は“無関心”であり、
 憎しみや恨みは愛とは紙一重のように思えます。
 どちらも、ベクトルが違うだけで、同じぐらい強い深い感情ですものね。
 大切な恋のお話をシェアしてくださってありがとうございます。
 
  

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「日本人として生きている今を考えた。
 盲目になってはいないか…という」

「日本人のマカロニ感。
 神がいないから」

「日本人は本当に忘れられるのだろうか?
 いつも思っていた。
 何故そんなかんたんに」

「自分が日本人であること、
 しかし、現代に生まれ、
 歴史と、そこからは独立に生きていること」

 

 まず、日本人という定義も難しいところです。
 自分が生まれたくて選んで日本人になったわけではありませんが、
 生まれた時から日本人で、日本としての権利や義務を持ち、
 日本の歴史と未来を背負ってしまいます。
 歴史が脈々と続いてきたその道の先端に現在があり、
 過去なくして今現在の自分は存在しえないのですが、
 過去の出来事を切り出すと自分とは全くかけ離れた、
 全く関係ないことのように思います。
 わたしたちは、ある国の国民として生まれた時から、
 その国が背負う過去の罪を、原罪として負っているのでしょうか?

 

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「アメリカの文化にあこがれていた時代が確かにあった」
 
「日米の友好関係を進める仕事をしているだけに、
 考えさせられることが多かった。
 それでも LIFE GOES ON」

「あなたの助けが必要なのは、本当は許したいから。
 許す力がほしいから。
 アメリカは本当は日本が怖いのかもしれない」

 

 日米の友好関係を進める!
 すてきなお仕事をなさっていらっしゃるのですね。

 確かに、赦すことは、心の活動の中でも、
 とても難しい分野かもしれません。
 そんな時、独りで戦うよりも、
 友人や家族の支え、神様への祈りが支えてくれる時があるのでしょう。