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妻が亡くなった後のお話
今日は、横光利一さんシリーズの1つ、『蛾はどこにでもゐる』の収録がありました。
こちらは、『春は馬車に乗って』を中心に考えると、夫が妻を看取った後……
妻を忘れられず、海辺の街で痛みと向き合い、時に逃避する夫を主人公にした、少しほんわかした、でもしっかりとしたお話です。
読むのは、演出の指名により、この方。栗田ばねさんです。
何故この方かと申しますと。
このお話の後半に登場する、主人公を訪ねてくるファンの女性が、以前、栗田くんが読んだ夏目漱石『夢十夜 第十夜』に出てくる「女」のイメージと重なったからです。
あくまでも演出がイメージしたものですが。
線が細く、顔が青白く、流行の長めの袖、妖艶な雰囲気、か細い声。という感じですかね。
栗田くんの演じる女性役が、とても良い。
暴れる栗田ばね
栗田くんが掲げているのは、90年代の恋愛シミュレーションゲーム『みつめてナイト』です。
ステマではありません、ただの熱いファンです。
向こうはこっちのことなんか知らない。
片想いです。
マイクテストでふざけ続ける、栗田くん。
叫ぶ、歌う、囁く、喚く、しゃべくる、叩き売る。
毎回、本番の本当の音量がよく解らないまま本番に入り、案の定、音量の設定をミスります。
眠るスズキヨシコ
寝る子は育ちます。
身長、約5尺。
淡々とした日常に帰りゆく作品
大切な人との死別と向き合うというのは、本来、暗いような、辛いような気持ちですが、何気ない細かい風景描写や、周囲の人との穏やかなやり取りから、柔らかく、温かくも感じられる、不思議な作品です。
看護の燃え尽き症候群から、海辺での隠遁生活を経て、ゆっくりじっくりと日常に戻っていく過程が、丁寧に紡がれています。
主人公が出した結論もまた、わたしたちに希望と諦めとの両方を提供してくれているように思います。
「今はとりあえず、これでいいのだ」と思える心のありかの落とし所は、死別だけでなく、わたしたちの人生の、あらゆる場面で参考になるのではないでしょうか。
栗田ばねさんの、淡々と客観的に、でも着実な寄り添いを見せる声で、是非、お楽しみください。