横光利一「春は馬車に乗って」|会議室で会議しました

本日のお稽古は、初の横光利一作品、『春は馬車に乗って』です。

会議室を借りてみました

我々にしては分不相応にも、都会のビルの会議室で練習しました。

壁に、鳥のシールが! なんかおしゃれです。

我々には不似合いな、ややアーバンな空間ですが、見事に使いこなしてやりましょう。こんな偽物の鳥に、都会のオアシス感じて負けたりなんかしません。

出演者を紹介します

今回、病床の妻を演じる溝端育和(やすな)さんと、看病に明け暮れる夫を演じる梅田拓さんです。

やすなちゃんは、舞台やテレビ番組に出演している俳優さんです。ありがたやありがたや。

そういえば吉田さんが改名しました

ナレーターは、この左のアンジェラアキさんみたいな人、吉田素子さん、改ため、加賀美もちこさんです。

バリバリ本名の「吉田素子」さんで活動してたくせに、謎のタイミングで改名し、今作品から加賀美になりました。

改名のバックグランドに、大人の事情とか、特にありません。なんで改名したのか、劇団の誰も理解できていません。多分本人もよくわかってません。推測の域を出ませんが、おそらく「気分」だと思います。

脱退も卒業も事務所トラブルも、特にありません。ただのクリーンでプレーンな再出発をしますので、温かくお見守りください。

ちなみに、他には「草餅子」「桜餅子」「柏餅子」「羽二重餅子」「ヨモギ餅子」などなど、様々な候補がありました。

ポテチに注目

吉田さんの手前にあるポテチが大変気になります。これは、梅田くんが開発した「パーティー開け」です。銀紙を下に下げることによって、エレベーター式にポテチがせり上がって来るという装置です。

賢いですね!!!!!

会議ぶって議論してみました

賢いついでに、備え付けのホワイトボードがあったので、賢そうに活用してみました。早速、アーバンな空気に取り込まれております。

「春は馬車に乗って」に出てくる、「寝たきりになっている妻が、彼女特有の『檻の中の理論』で夫をしばってくる」という表現があり、複雑なので、「どういうこと?」というのを、みんなで図解してみました。

妻は檻(おり)のような寝台の格子(こうし )の中から、微笑しながら絶えず湧(わ)き立つ鍋の中を眺めていた。
「お前をここから見ていると、実に不思議な獣(けもの)だね」と彼は云った。
「まア、獣だって、あたし、これでも奥さんよ」
「うむ、臓物を食べたがっている檻の中の奥さんだ。お前は、いつの場合に於ても、どこか、ほのかに惨忍性を湛(たた)えている」
「それはあなたよ。あなたは理智的で、惨忍性をもっていて、いつでも私の傍から離れたがろうとばかり考えていらしって」
「それは、檻の中の理論である」
 彼は彼の額に煙り出す片影のような皺(しわ)さえも、敏感に見逃(み のが)さない妻の感覚を誤魔化すために、この頃いつもこの結論を用意していなければならなかった。それでも時には、妻の理論は急激に傾きながら、彼の急所を突き通して旋廻することが度々(たびたび)あった。
「実際、俺はお前の傍に坐っているのは、そりゃいやだ。肺病と云うものは、決して幸福なものではないからだ」
 彼はそう直接妻に向って逆襲することがあった。
「そうではないか。俺はお前から離れたとしても、この庭をぐるぐる廻っているだけだ。俺はいつでも、お前の寝ている寝台から綱をつけられていて、その綱の画(えが)く円周の中で廻っているより仕方がない。これは憐(あわ)れな状態である以外の、何物でもないではないか」
「あなたは、あなたは、遊びたいからよ」と妻は口惜(くや)しそうに云った。
「お前は遊びたかないのかね」
「あなたは、他の女の方と遊びたいのよ」
「しかし、そう云うことを云い出して、もし、そうだったらどうするんだ」
 そこで、妻が泣き出して了うのが例であった。彼は、はッとして、また逆に理論を極(きわ)めて物柔らかに解きほぐして行かねばならなかった。
「なるほど、俺は、朝から晩まで、お前の枕元にいなければならないと云うのはいやなのだ。それで俺は、一刻も早く、お前をよくしてやるために、こうしてぐるぐる同じ庭の中を廻っているのではないか。これには俺とて一通りのことじゃないさ」
「それはあなたのためだからよ。私のことを、一寸(ちょっと)もよく思ってして下さるんじゃないんだわ」
 彼はここまで妻から肉迫されて来ると、当然彼女の檻の中の理論にとりひしがれた。だが、果して、自分は自分のためにのみ、この苦痛を噛み殺しているのだろうか。
「それはそうだ、俺はお前の云うように、俺のために何事も忍耐しているのにちがいない。しかしだ、俺が俺のために忍耐していると云うことは、一体誰故(だれゆえ)にこんなことをしていなければ、ならないんだ。俺はお前さえいなければ、こんな馬鹿な動物園の真似(まね)はしていたくないんだ。そこをしていると云うのは、誰のためだ。お前以外の俺のためだとでも云うのか。馬鹿馬鹿しい」
 こう云う夜になると、妻の熱は定(きま)って九度近くまで昇り出した。彼は一本の理論を鮮明にしたために、氷嚢(ひょうのう)の口を、開けたり閉めたり、夜通ししなければならなかった。

横光利一「春は馬車に乗って」

病床の妻は、健康な夫のことを「あなたは自由でいいわね」と責めてくるけど、夫からすれば、妻の看病をしなければならないので、自分のことをそれほど自由だとは思っていない……というすれ違いなのかな? 

妻がそうやって責めてくることそのものが、自由ではないっていうか、しばられてるってことなのでは? 

などと、活発な議論を交わしました。

やっぱり、ホワイトボードがあると、白熱した、活発っぽい雰囲気を醸し出せます。雰囲気を醸してるだけで、実際はだらだら喋っています。

ほんわかした感想も言い合いました

梅田くんが「最近何かで読んだんだけどね。文学の一番初めの書き出しって、作者が一番言いたいことっていうか、雰囲気が込められてるんだって。この『海浜の松が木枯らしに揺れていた』って、僕はすごい好き」と言ってくれました。

そこで、「芥川龍之介の『秋』でも、一年中、海辺の家から松の葉が見えていたね」という話になりました。

「雪国」や「吾輩は猫である」など、物語の書き出しは、たしかに、読者が読み始める前にチューニングする、大事なポイントですね。

これは老夫婦の話じゃない!?

みんなで読み合わせした感じ、看病をしている様子から、みんな、渋い老夫婦の話しだと思い込んでいました。

実際に調べると、どうやら横光夫婦が闘病していたのは20代前半だったことがわかりました。

「えー! 若いんだね!」

「23歳とかそのぐらいみたいだよ」

そういえば横光利一って何者?

みんなで、横光利一について、慌ててググり始めました。

芥川龍之介などと同じ年代でありながら、国語便覧ではサラッと流され、あんまり教科書でも扱われない、横光利一。

どんな人なのか、急にみんな興味が湧いて来ました。

どんな夫婦?

また、「この会話を読んだ感じ、この夫婦って本当に仲良しなのかな? なんか嫌味の押収に聞こえたけど」「ネット上とかで「夫がすっごい優しい」っていう感想もあるけど、あんまり優しいとは思わなかったなぁ」という話も出ました。

次回から本格始動です

さて、わからないことだらけだった今回。この感想が、調べ物や練習を積み重ねた稽古の後半でどう変化していくのか、楽しみです。

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