横光利一「春は馬車に乗って」|横光はキリスト教徒?

いよいよ具合が悪くなる妻

今日は、後半の、肺病の妻の容体がどんどん悪化してきたところを中心に練習しました。

田島裕人くんは、見学です。

もうすっかり、ガッツリ演技を固めている溝端育和ちゃん。さすがプロ。座っての読み合わせなのに、舞台なみの演技です。息も絶え絶え。鬼気迫る様子に、みんな圧倒さあれています。

聖書をどう声に出して読むのか

妻が、夫に突然「聖書を読んでちょうだい」と頼み、夫が聖書を取り出して朗読するシーンがあります。

キリスト教家庭に育ったメンバーが多い劇団のの。キリスト教系の教育を受けた人も多くいて、みんな、なんとなく馴染みがあります。

今、日本のキリスト教の世界では、なんとなく牧師さんたちに共通した、典型的な聖書の読み方というものがあります。別に、「これが基準だ」と明確に決まっているわけではないのですが、統一された方向性はあるように思われます。特に、年配の牧師さん。朗々と高らかな声で、一定の抑揚をつけて読みます。

しかし、当時は、どんな読み方をしていたのでしょうか? 戦前から脈々と伝わる牧師の聖書の読み方が、外題に伝わっているのでしょうか? それとも、当時はもっと違う読み方をしていて、戦後に今のスタイルが定着したのでしょうか? そもそも、何かものを声に出して読む時というのは、どういうテンションで読んだのでしょうか?

また、横光は、よく小説にキリスト教の要素を登場させますが、どのぐらい信心深かったのでしょう? というのは、夫は、どの程度キリスト教に親しんで、妻に聖書を朗読していたのでしょう?

梅ちゃんは、

「僕は、夫はそんなに信心深くはないと思う。これはね、妻が熱心だったとして、夫は付き合わされてるだけだと思うの」

と推理します。

「だって、ここ見てよ。汚れたバイブルって書いてあるんだよ? 愛着があって、読み込んでるからボロボロになっているんだとして、リスペクトがあって大事にしてたら、汚れたっていう風には言わないと思うよ」

とのこと。

確かに。聖典に向かって、「古びた」「くたびれた」とは言うかもしれませんが、「汚れた」というのは、リスペクトが足りないかもしれません。

あとで調べてわかったこと

音読について

戦前の義務教育では、ものを読むときは音読、特に群読が基本だったようです。大きな声を出し、唱和するのが基本だったわけです。

むしろ、戦後には、みんなで一緒に大きな声で何かを読むことが全体主義的、軍国主義的な教育を想起させるため、群読は奨励されなくなり、黙読できる力を育てたり、句読点で区切って1人ずつ順番にやり方が主流になったようです。

ということで、夫は、「声に出して聖書を読んでくれ」と頼まれても、あまり抵抗が無かったかもしれません。現代人の方が、音読はちょっと照れてしまい、苦手な人が多いのではないでしょうか。

横光とキリスト教の関係性

また、横光がどのぐらい信心深かったかというと、キリスト教に対する知識や教養、関わりはありましたが、「心の底から熱心に信じていたのではなかった」とする説が主流のようです。また、「反発を持っている」とする論説もあります。

他の作品では、教会の牧師の娘を目当てにキリスト教徒の振りをして教会に通う青年が登場しています。

また、「春は馬車に乗って」に出て来る聖書の詩篇の箇所も、妻の容体や話の筋など、作品に合わせて都合のいい箇所が選ばれており、更に、やや改編が加えられているのです。

このように自分の作品に都合よく原典を書き換えるなど、熱心な信者では恐れ多くてできないことでしょう。

しかし、面白いエピソードもありまして。横光は最初の妻と死別した後、別の女性と結婚し、子どもを持っています。

晩年その妻に「近所に教会ができたから行ってみたらどうだ」と勧めたのは、なんと横光その人でした。横光自身は晩年で体調が悪化してたため、一緒に通うことは叶いませんでしたが、妻はその後、洗礼を受けてクリスチャンとなっています。

横光は、キリスト教と、何かと距離を保ちながら、深く関わり続けたことになりますね。

妻の余命を告知する医者

この物語に登場する、唯一の他人に、お医者さんがいます。この人はどういうお医者さんなんだろう? という話になりました。

お医者さんの役をやることになるであろう、田島くん。

スズキヨシコさんが想像するのは、若くて、淡々としたお医者さん。医大生のような雰囲気です。特に感情的にならず、無慈悲に病状を伝えてくるという設定です。

梅ちゃんが想像するのは、そうではなく、たくさんの患者を見てきたからこそ、無慈悲にではなく、淡々と伝えてくる老医者。

こちらは、みなさんの演技や、今後の話し合い次第で、じっくり決まっていくことですね。

夏目漱石「夢十夜 第十夜」|「こんな夢を見た」…見るな!

「こんな夢を見た」で有名な夏目漱石の『夢十夜』です。

美しい謎の美女、幻想的なシーンの数々から、何度も映像化、舞台化、漫画化された、全10編の作品集から選ばれたのは……

「なんでこれにしたの?」という『第十夜』です!! 最も意味不明で、別に美しくもなんともない『第十夜』をやってしまいました。

栗田ばねさんによる独演。ナレーションも、女の声も。さらには最後に登場する何匹もの豚の大群の声も、1人で演じたものをenyaのように重ねるという、まさに奇怪な作品に仕上がってしまいました。

『夢十夜』については、もはや多くの人によって色んな解説や分析が出されているので、深くは言うまい(深く知らない) あくまでも劇団ののが思う、「ここがヤバい!」という点について、一緒につっこんでいきたいと思います。

栗田ばねがイラストとコラムを担当してくれた、テキストの解説と合わせてお楽しみください!(そちらはめっちゃ真面目です!!)

「こんな夢を見た」で始まるのは4つだけ

『夢十夜』といえば、皆さん、「こんな、夢を見た」という書き出しを思い浮かべるのではないでしょうか。

栗田ばねが調べたところによると、実は、全ての話がこの始まり方をするわけではなく、第一、二、三、五夜だそうで。『第十夜』は、全然違う始まり方です。

美しい話は(多分)1つだけ

『夢十夜』を想像する時に、幻想的な美しいお話を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

それ、多分『第一夜』です。美しい女が現れ、男に「もう死にます」と言う。「死んだら埋めてください」「100年待っていてください。きっと逢いに来ますから」と。墓を掘って待ち続ける男。しかし女は来ない。やがて白いユリの花が1輪咲いて、男はその花にキスし、遠くの空に暁の星を見ると、もう100年経っていたことを悟る。

わぁ! なんて幻想的な光景!

実は、わたしが大学に入学してすぐの頃、演劇部やダンス部の先輩たちが、『夢十夜』を舞台にしていたんです。1年生のわたしは、それを観て、物凄い衝撃を受けた記憶があります。舞台装置、衣装、照明、振り付け、アイテム使い、宣伝美術、使用曲など、どれもこれも印象的で、まさに総合芸術でした。当時の出演者の中には、その後プロのダンサーや舞台俳優になった方もいて、今も活躍しています。

その後、大学卒業までサークルで舞台公演をしている時は、いつも、どこか必ず、その公演を意識していたほどです。必ずしも振り付けや演出を真似したわけではありませんが、その奇想天外さ、美しさ、出演者の放つ熱量、それを観た時の衝撃を、自分の中で忘れないようにしていた、という感じです。今も、美しいシーンの数々をありありと思い出せます。「100年待っていてください」と語りかける着物姿のダンサーの女性、舞台にスーッと咲いてくる真っ白いユリの花。差し込む光の筋。感動のシーンでした。

ところが。
どうですか。
なんですか、この『第十夜』は。

美しいのって、『第一夜』で、後はおかしな話ばかりなんですよ。特に『第十夜』は、最もナンセンスだと言われています。

庄太郎と女は以前も登場していた

ところで、『第十夜』に出て来る美女は、この『第一夜』の女と同じ美女なんでしょうか? それとも、違う美女なのでしょうか? わかりませんね。そこは明かされていません。

どちらにしても、夏目漱石の他の様々な作品に出て来る、大人しくて謎めいた青白い美女像に、近いものがあります。そして、『第十夜』の登場人物、庄太郎は、実は『第八夜』にも出て来ます。
主人公は違う男「自分」。

その「自分」が床屋に行くと、鏡の中に、パナマ帽子を被った庄太郎が歩いて行くのが映り込みます。庄太郎は、いつの間に捕まえたやら、女を連れて歩いている。女の顔をよく見ようとしたら、もう行っちゃった。

この鏡に映ったのは、もしかしたら、『第十夜』で庄太郎が女について行ってしまった、その瞬間なのかもしれません。そう考えると、ちょっと監視カメラの映像とか、目撃証言っぽくないですか? 鏡越しというのが、また良い。

こうして、一見全く関係ない話同士に微妙な関連があるのは、面白いですね。夢って、時々、はちゃめちゃでナンセンスなわりに、妙にリアルなポイントが混ざっていたりするものです。

このシリーズは新聞に連載していたものですが、『第八夜』を書いてから、そこに出て来た2人を再度登場させたのでしょうか。それとも、全部の構想を済ませてあり、『第十夜』の2人を『第八夜』に予告のようにちょっと出しておいたのでしょうか。謎です。

第十夜は断トツでツッコミどころだらけ

ところで、『第十夜』について、色んな文献、感想、ブログ、解説を読んでいると、結構、真面目なものばかりでした。まぁ、そんな文章を書くような人なので、みんな真面目に読んでいるのでしょう。「夢とは何だ」とか。「7日間という数字は、聖書っぽい」とか。もちろん「豚のエピソードは聖書の引用だ」とか。とても面白かったです。分かりやすいし。勉強になりました。

しかし!
わたしは、「ダウト!」と言いたい。
というわけで、わたしが「おい!」と思ったポイントを紹介しましょう。

第十夜のあらすじ

その前に、このお話、構造がやや複雑なので、説明します。

登場人物たち

  • 自分:まず、「自分」というのがいます。夏目漱石さん自身なのでしょうか? 夢を見ている主人公です。
  • 健さん:「自分」は、「健さん」っていう人から夢の中で話を聞かされている、という設定になっています。
  • 庄太郎:「健さん」がしているのは、「庄太郎」の身の上に起きた話です。
  • 女:庄太郎をさらってひどい目に遭わせた「女」。

あとは、庄太郎が行方不明になって心配する親戚の人々や、7日後に帰って来たときに庄太郎を出迎えて心配する町内の人たちが出て来ます。

この話に出て来る人たちが、とにかく変なんですよ!!

まぁまぁやばい主人公 庄太郎

1人目はもちろん、中心人物、庄太郎。

まず、彼は町内一のモテ男で、すごく善良で、正直者だそうです。

しかし、彼には趣味がある、それは、夕方から果物屋の前で座って、通り過ぎる女の顔を見ては、しきりに感心すること……「そのほかにはこれというほどの特色もない」

って、次の文ですぐ切り捨てるんですよね。

いやいや、さっきほめたじゃん!
しかも特色がその趣味だけってどんなヤツだよ!

結構な趣味ですよ、「女を見る」……

バードウォッチング的な?
そして、あんまり女が通らない時は、果物を眺めてるらしい。

暇すぎ……!!!!

どうやって生計立ててる人なんですかね?
あ、この果物屋さんの人か。
と思うじゃないですか。
違うらしい。
「やっぱ商売するなら果物屋に限るよね」的なことを言いながら、自分は特に店をやるわけでもなし。
時々、夏ミカンを眺めて「色がいい」とか品評する。
でも、絶対お金を出して果物を買ったことはない。

めっちゃ迷惑!

何しに来てるんですか、他人の店に。
女が通らない時は家に帰りなさいよ。
この店の店長はどう思ってるんですかね。毎日毎日、パナマハットかぶった庄太郎がヘラヘラ店頭に座ってること。プチ営業妨害じゃないですか。現代なら間違いなく通報モノ、または動画で拡散されて夕方のニュースになる案件かと思われます。

でも、町内の人からは、別に呆れられも見放されもせず。庄太郎がさらわれたり熱を出したりしたら、みんな凄い心配してるんですよ。
何故かっていうと、やっぱり、庄太郎がいいヤツだからだと思います。なんたって、善良で正直。

いいヤツなので、ある時タイプの美女が現れて、果物のカゴをさして「これを下さい」って言ったら、庄太郎は、すぐに取って渡して差し上げるわけです。

って、待って庄太郎!
お会計した?
そもそも自分のお店じゃないし、店員気取りでカゴ渡すなよ!

そして庄太郎、やっぱりいいヤツなので、女が「カゴが重たい」って言ったら、「家まで持ってってあげる」って言って、ホイホイついて行ってしまうわけです。
ここでも漱石、「庄太郎は元来 閑人(ひまじん)の上に、すこぶる気さくな男だから」って書いているんですが、ちょいちょい庄太郎に毒を吐くのは何なんでしょう? 愛情の裏返し?

1番ヤバい人 健さん

もう1人、ヤバいヤツを紹介します。なんと言っても、健さんですよ。

物語の1番初めの文は、庄太郎が女にさらわれて、7日経って帰って来たら熱を出して寝込んでる! って、「健さんが知らせに来た」っていうところから始まります。

健さんって誰!?

健さんって言ったら、かの有名な不器用な健さんしか知りませんが。
いきなり登場して、特に何の説明もなし。おそらく町内の仲間なのでしょう。

そして庄太郎から聞かされた、「女にさらわれ、崖っぷちに連れて行かれ、豚の大群と戦った」という一連の流れを語り終えて、健さんが放った一言が、こちらになります ↓

健さん「だからあんまり女を見るのはよくないよ」

……え! そこ!?

自分「自分ももっともだと思った。」

自分、まさかの同意!?

この話の教訓は、「あんまり女を見るのはよくない」ということになりそうです。まぁ、たしかによくないよ。皆さんも、女を見る際は気を付けてください。

そして、衝撃の結び。

自分「けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたいといっていた。庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう 〜fin〜」

健さん!! サイコパス疑惑!!!!!

「庄太郎、もう死ぬっぽいし、あの帽子ほしいなぁ〜」ってどんな友人ですか。形見分けフライング。
そしてそれを平然と聞いてる自分も自分でしょう。どういうテンションなんだろう??
でも、そこがまさに夢っぽいところなのかもしません。夢の中で、物凄い恐怖や焦りを覚える時もあれば、逆に、現実ではもっと焦るようなことが起きていても、何故か冷静に受け入れてしまったり。

庄太郎が嫌いなものランキング

最後に1つ、なんじゃこりゃ、と思ったポイントを紹介します。

それは、女が庄太郎を崖っぷちに連れて行き、「ここから飛び込んでごらんなさい。思い切って飛び込まなければ、豚に舐められます」と言った時のことです。
(それ自体、そもそもどういう条件なんですか)

自分「庄太郎は豚と雲右衛門(くもえもん)が大嫌いだった。けれども命にはかえられないと思って、やっぱり飛び込むのを見合わせていた」

またサラっと流しそうになったけど、雲右衛門って……誰!?

クモえもーーーーーーーーん!!

これに関しても、この一言しか出て来なくて、もう次の瞬間には豚がブーブーやってきてクライマックスになってしまうので、やっぱり何のことやら分かりません。

お恥ずかしながら知らなかったのですが、桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)さんっていう、明治から大正に掛けて活躍した浪曲師の方がいたそうです。
すごい売れっ子で、浪曲の社会的地位を上げるきっかけとなった人。レコードも出している。彼を主人公にした映画や小説まであるようです。

で?
庄太郎が嫌いな雲右衛門が、この人だとして、です。
なんで嫌いなの?
なんで豚と並列で嫌いなの?

本当に、なんで嫌いなのか、よく分かりません。他に嫌いなものないのかな??
当時、漱石が雲右衛門さんを嫌いだったのかもしれません。「嫌いな芸能人」みたいな。
雲右衛門からしたら、とんだとばっちりですよ、急に新聞連載の小説で誹謗中傷されて。これが有名税ってやつですかね。

夢十夜の正しい楽しみ方

ちなみに、NHKの「100分de名著」でこの物語が特集されていたのですが。

夢を描いたこの作品の正しい楽しみ方というのは、平たく言うと「人それぞれでいい」ということを語っていらして、とても安心しました。

わけのわからないものを、わかろうとしてもよい。わからないことを楽しんでもよい。わからないな、というだけでもよい。みたいな感じです。

だから、劇団のののように、色々調べたけどもうわからないから、ツッコミを入れるだけでもよい。

もう 第一夜だけ読もうよ

「嗚呼、なんだよそれ!」というポイントしかない、『第十夜』でした。

お口直しに素敵な素敵な『第一夜』を読むことをオススメして、この記事を終わりにしたいと思います。