横光利一「妻」|作品に登場する語彙の解説

横光利一『妻』メインビジュアル コラム
コラム

横光利一の短編『妻』に登場する、ちょっと難しい言葉の意味を調べてみました。

劇団ののは、言語学や歴史学のプロフェッショナルではありません。
様々な文献や辞書をあたったり、プロフェッショナルの方に手助けをいただいたりはしていますが、あくまでも自力で調べ物をした結果を掲載しています。誤った情報が含まれている場合がありますので、ご注意ください。
また、調べ物をした結果、真実が突き止められないこともあります。
ご了承ください。

葡萄棚【ぶどうだな】

ぶどうのつるを巻き付かせるための棚です。実の世話がしやすいように、人の背丈くらいの高さのところに、竹や木を四角く組み合わせて作ります。

茫々と(する)【ぼうぼうと】

広々としているようす、ぼんやりとしてかすんでいるようすです。

床【とこ】

寝床のこと、つまりお布団のことです。

まるで新感覚よ

横光利一は文学史上「新感覚派」に分類されます。そのため、妻のこの発言は、横光が新感覚派と呼ばれていることをからかっているのでは!と思い、調べてみました。
横光が「新感覚派」と呼ばれるようになったのは、1924年に評論家・千葉亀雄が横光の作品を「新感覚派」と表現したのが始まりだそうです(横光自身は、自ら「新感覚派」と名乗ったことはないとのこと)。
一方、『妻』はその翌年、1925年に発表された作品です。「新感覚派」の言葉が 横光の作品が「新感覚派」と表現されたことを妻が知っていた可能性はありますが、妻が明確に夫をからかう意味を込めてこの言葉を使ったのかは、はっきりとは分かりません。
ただ、果実の味が妻にとって新鮮なものだと表現していることだけは確実です。

興趣【きょうしゅ】

面白みがあること、楽しく愉快に思えることです。

哄笑【こうしょう】

大声で笑うことです。今で言う、「爆笑」に近いかもしれません。

一条の光り【いちじょうのひかり】

一筋の光です。「一条の光」は、絶望の中の希望の象徴として使われることがある表現です。

満腔【まんくう】

全身、体いっぱいに満ちていることです。

べテレヘムの女ごらよ〜

旧約聖書に収められている『雅歌』第7章にある「あなたの頭は、カルメルのようにあなたを飾り、髪の毛は紫色のようで、王はそのたれ髪に捕われた。」を一部変えているものと思います。
『雅歌』は男女の恋の歌で、ぶどうやぶどう畑がたとえとして何度も出てきます。「ベテレヘム(ベツレヘム)」はイエス・キリスト生誕の地として新約聖書に登場します。

汝は 汝の床もて 我を抱け。〜

こちらも、旧約聖書の『雅歌』に似たような箇所があります。これらをもじって言葉遊びをしているものと思われます。似ている文があるのは、たとえば以下の箇所です。
第5章「エルサレムの娘たちよ、わたしはあなたがたに誓って、お願いする。もしわが愛する者を見たなら、わたしが愛のために病みわずらっていると、彼に告げてください。
第8章「わたしはあなたを導いて、わが母の家に行き、わたしを産んだ者のへやにはいり、香料のはいったぶどう酒、ざくろの液を、あなたに飲ませましょう。
エルサレムの娘たちよ、わたしはあなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。
わたしのものであるぶどう園は、わたしの前にある。ソロモンよ、あなたは一千を獲るでしょう、その実を守る者どもは二百を獲るでしょう。

口がとれそう【くちがとれそう】

方言辞典や日本大辞典をあたりましたが、掲載がありませんでした。
文脈から、とても美味しいことを表す「ほっぺたが落ちそう」と同じような意味と考えられます。限定した時代で使われていたか、方言として存在していたか、または横光利一の造語ではないかと思われます。

井戸【いど】

水道が整備されるまでは、井戸から水をくみ上げていました。水を家の中まで運ぶのは大変なので、井戸端で鍋を洗ったり衣服を洗濯したりしました。何軒かで共用されることもありました。

草玉【くさだま】

辞典や辞書、国立国会図書館にデジタルアーカイブされている文献を当たりましたが、「草玉」という単語そのものは見つかりませんでした。
唯一発見できたのは、横光利一の他の著作「日輪」です。
まずは、作品に登場するぶどうの旬である秋に青い実をつけること、また「日輪」から風にそよぐ穂を持つことが判断できるため、実をつけるイネ科の草の類ではないかと推測しました。
また、日本国語大辞典によれば「玉」には宝貝などを始めとした美しい石という意味があります。
つまり玉=宝貝に似た草と言えば、「数珠玉(ジュズダマ)」が最も近いのではないかと推測しました。
数珠玉はイネ科の植物で、トウモロコシのような葉が1mほどの高さまで伸びます。秋になると、1cmほどの固くて黒い実をたくさんつけます。
その様子は確かに宝貝によく似ています。
この実は、お手玉やおもちゃのネックレスなどにして遊ぶことができます。
横光利一は、方言、あるいは横光の身近な人々の影響などから、数珠玉を「草玉」と造語で呼んでいたのではないかと、劇団ののでは推測しています。
他に何か情報やアイディアをお持ちの方がいらしたら、是非とも劇団ののまでお寄せください。

参考文献

協力:ICU Library

タイトルとURLをコピーしました