森鴎外が短編『高瀬舟』を書いた、そのきっかけを語る短いコラム『高瀬舟縁起』。
『高瀬舟縁起』に登場する、ちょっと難しい言葉の意味を調べてみました。
劇団ののは、言語学や歴史学のプロフェッショナルではありません。
様々な文献や辞書をあたったり、プロフェッショナルの方に手助けをいただいたりはしていますが、あくまでも自力で調べ物をした結果を掲載しています。誤った情報が含まれている場合がありますので、ご注意ください。
また、調べ物をした結果、真実が突き止められないこともあります。
ご了承ください。
- 高瀬川【たかせがわ】
- 天正十五年【てんしょう じゅうごねん】
- 慶長十七年【けいちょう じゅうしちねん】
- 角倉了以【すみのくらりょうい】
- 五条・二条【ごじょう・にじょう】
- 曳舟【ひきふね】
- 和名鈔【わみょうしょう】
- 釈名【しゃくめい/しゃくみょう】
- 竹柏園文庫【ちくはくえんぶんこ】
- 和漢船用集【わかんせんようしゅう】
- 借覧【しゃくらん】
- 『和名抄』には釈名の「艇小而深者曰舼」とある「舼」の字をたかせに当ててある。竹柏園文庫の『和漢船用集』を借覧するに、「おもて高く、とも、よこともにて、低く平らなるものなり」と言ってある。そして図には竿で行る船がかいてある。
- 遠島【えんとう】
- 京都町奉行付の同心【きょうと まちぶぎょうづき の どうしん】
- 子細【しさい】
- 銅銭二百文【どうせん にひゃくもん】
- 西陣【にしじん】
- 空引【そらびき】
- 翁草【おきなぐさ】
- 活字本【かつじぼん】
- 杓子定木【しゃくしじょうぎ】
- ユウタナジイ
- 参考文献
高瀬川【たかせがわ】
京都の中心部から伏見まで南北に流れる川で、かつては運輸に使用されました。
現代では自動車や電車による陸路での運輸が発達していますが、それ以前は、馬や人が運んでおり、時間がかかりました。
水路を巡らせて舟に積んでゆくほうが、圧倒的に早く、大量の荷物を運ぶことができたのです。
例えば、昔は、山で切り出した木材は、イカダ状にして川を流して都会まで到達させていました。
(江戸の街も、このように水路を発展させることによって反映していきました。)
現在でも川は市街地の中に残っています。
お話を読んでいると、静かな描写から、中国の運河のような雄大な大河を想像する人が多いのではないでしょうか。
実際は、水路のような細めの川です。
鴎外が「元来 たかせ は舟の名で、その舟の通う川を 高瀬川 と言うのだから、同名の川は諸国にある。」と書いています。
つまり、「たかせ」という名前の船が通るような川を「高瀬川」と呼ぶ、ということです。
また、「和漢船用集」という書籍にも「高瀬川 所々にあり」とあります。
京都の他にも、日本全国に、そのような「高瀬川」と呼ばれる川が存在しています。
天正十五年【てんしょう じゅうごねん】
1587年。
本能寺の変から5年後で、豊臣秀吉が活躍していた頃のことです。
慶長十七年【けいちょう じゅうしちねん】
1612年。
関ヶ原の合戦から12年後で、すでに徳川家康が江戸に幕府を開いた後のことです。
角倉了以【すみのくらりょうい】
京都の豪商で、高瀬川を開削した(掘った)人です。
貿易で財をなし、私財で川を通したそうです。
五条・二条【ごじょう・にじょう】
京都には、かつて平安京がありました。
道は全て、いわゆる「碁盤の目」と呼ばれる格子状に通っていました。
その頃の名残で、現在も東西に横切る道には、北から順番に「四条」「五条」「七条」「九条」といった名称が残っており、随所の名称にも「二条城」「三条大橋」「四条烏丸」「東山五条」など通りの名前の名残があります。
曳舟【ひきふね】
小舟を牽引することをさし、船引きともいいます。
鴎外は、ここでは、曳けるような小舟そのものをさしています。
和名鈔【わみょうしょう】
正式には「倭名類聚抄/鈔(わみょうるいじゅしょう)」といい、平安時代に作られた辞書です。
国立国会図書館デジタルなどインターネット上でも閲覧することができます。
釈名【しゃくめい/しゃくみょう】
後漢(紀元後25〜220年)の終わりに作られた辞典です。
国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧することができます。
竹柏園文庫【ちくはくえんぶんこ】
竹柏園文庫とは、佐佐木信綱(ささきのぶつな)氏(1872〜1963年)が生前、歴史的に貴重な書籍などを収集した旧蔵書のことをさしていると考えられます。
佐佐木信綱氏は明治〜昭和にかけて歌人・国文学者として活躍した人です。
和漢船用集【わかんせんようしゅう】
「和漢船用集」は、江戸時代に金沢兼光によって作られた、日本と漢の船についての百科事典のような書物です。
国立国会図書館デジタルなどインターネット上でも閲覧することができます。
借覧【しゃくらん】
鴎外は、「和漢船用集」を借覧したと述べているので、竹柏園本としてコレクションされていたものを、図書館のように借りて読んだものと思われます。
『和名抄』には釈名の「艇小而深者曰舼」とある「舼」の字をたかせに当ててある。竹柏園文庫の『和漢船用集』を借覧するに、「おもて高く、とも、よこともにて、低く平らなるものなり」と言ってある。そして図には竿で行る船がかいてある。
ちょっと長いですが、この文章は単語1つずつ、全部意味が分からなくて、出て来る順番に単語を説明しただけでは何のこっちゃかさっぱり分からないので、以下に意味を書き出します。
まず、『和漢船用集』は国立国会図書館デジタルで読むことができるので、それを見てみましょう。
97ページに、鴎外が示す通り、高瀬舟の図と説明が記載されていました。
『和漢船用集』の作者、金沢兼光は、高瀬舟を紹介する説明文の冒頭で、辞書である『和名抄』を引用して、「舼(たかせ)」と単語のタイトルをつけています。
では、その引用元の辞書『和名抄』の「舼」の項では、何が書かれているかというと、さらに中国の辞典の『釈名』を引用して、どんな船かを説明しているようですね。
中国の辞書『釈名』に載っている説明は……「艇(てい)小(しょう)にして深(ふか)き者(もの)を舼(きょう)と曰(い)う」とのことです。
すなわち「小さくて深い舟を、舼 と呼ぶよ」と書かれているわけです。
その「舼」の字に、日本の辞書では「たかせ」という音を当てたようです。
「和名は「多加世」で、世俗には「高瀬」っていう字が使われるよ」とも書かれています。
ちなみに、続けて「「舼」の他にももうひとつ、同じような船をさすふねへんの漢字が一文字あるよ」って書かれてる感じがしますが、この字をなんて読むのか、まだ見つけられていません。
かつての中国の漢字辞典である『字彙』には、そっちの漢字で同じように小さくて深い舟の説明が載っているらしいです。
(はい、これが、中高の漢文しかやってない人の限界です、すみません。)
さて、鴎外の文章に戻りましょう。
「おもて高く、とも、よこともにて、低く平らなるものなり」書かれています。
これは『和漢船用集』では、「艫(おもて)高く、舳(とも)、横舳にて、低(ひき)く平(たいらか)なる者なり」と書かれている部分の引用です。
若干パニックなんですが、「艫」「舳」どちらの漢字も「へさき(船首)」とも「とも(船尾)」と読みます。
しかし、「艫」という字に「おもて」というふりがなが振られており、日本国語大辞典にて「舳」という漢字の説明に「[補注]漢字の「舳」は現在では船首の意の「舳(へ)」として用いられるが、古くは「とも」にも用いられた」という旨が書かれていたため、ここは純粋に、「船首が高くて、船尾や船尾側のサイドは低くて平らになってる舟です」と読んで良いでしょう。
97ページの下段のイラストには、舳先がカクッと上がっていて、竿で漕いでる人が乗ったイラストに、「髙瀬舟」というタイトルが付けられています。
たしかに他のページの同じ規模の舟のイラストと比べても、この船首が跳ね上がるように高くなった様はかなり独特でした。
つまり、鴎外が小説を書く前に、いかにちゃんと書籍で調べているかが分かる!
そして、それがどういう定義づけになってるものなのかということを、とてもしっかりここに書き記しているのが分かる!
ということですね! 素晴らしい!(でも難しいよ!)
京都に、本当に高瀬舟を作っている方がいらっしゃるようです。
すごい!
遠島【えんとう】
遠く離れた島のことをさす言葉ですが、江戸時代の刑罰でもあります。
別名、流罪・流刑・島流しなどとも呼ばれ、罪人を遠く離れた島に送ることです。
命を取らないという温情措置から、今住んでいる場所から「追放」する(流罪・流刑)というのは昔からよくある刑罰でした。ですから、島流しは打首などの死刑よりも軽い刑となります。
京都町奉行付の同心【きょうと まちぶぎょうづき の どうしん】
未。
子細【しさい】
詳しい情報や細かいことなど。
銅銭二百文【どうせん にひゃくもん】
銅銭とは、江戸時代に使用されていた銅貨のことです。
二百文が現代に置き換えてどの程度の価値があるかということは(物の価値とは時代のニーズによって変動するものであるため)明言できないのですが、レファレンスの回答で丁寧に調査されたものがあったため、大変参考になります。
西陣【にしじん】
京都の現在の上京区や北区などを中心に、御所(京都御苑)の西北に位置する範囲を呼びます。
ただし、範囲は正確に区切られたものではなく、どこまでを西陣と呼ぶかということや職人が住む範囲などは、時代によっても変動があります。
地名の由来は、応仁の乱(室町時代中期)において西軍の陣が置かれたからだそうです。
昔から織物で有名で、西陣織と呼ばれています。
ちなみに「これが西陣織だ」という1種類の模様や織り方が決まっているわけではありません。
現在は、法律によって12種が指定されているとのことです。
空引【そらびき】
空引機(そらひきばた)というのは、古い織り機の種類のようです。
織物で(プリントではなく)模様を出す際には、縦糸と横糸を組み合わせる必要があります。
縦に張った糸に対して、染められた横糸を組み合わせる際に、どこを通すかで、模様が決まります。
大きな織物を作る際には、ある程度の大きさを持つシステマティックな機織り機が必要です。
日本では、空引き機(高引きともいうようです)が使用されていました。
明治時代に西洋から流入したジャカード式にとって代わられ、ほぼ使用されなくなりました。
しかし、西陣ではこの機械が資料などから復元され、実演などが行われているようです。
先にジャカード式をお見せすると、以下のような模様を指定する板が取り付けられています。
(コンピューターでプログラムするのに似ているやり方です。)
また、現在使われている最新式のものは、コンピューターが模様を指定していて、自動で織り上がります。
空引機では、これらの模様を指定する作業を人力で行っているということです。
空引機は高さが数メートルあり、機械の上の方に座った人が縦糸を操作して(特定の糸を持ち上げて)、横糸を通す道を作ります。下に座っている人は、指定された場所に横糸を通します。
息を合わせて1回1回通します。
京都ものづくり塾の記事にて「高引き」と呼ばれていることから、おそらく機械の上部(高いところ)=空から糸を引き上げていることを表しているのかもしれません。
となると、「高瀬舟」の中で弟がしている「空引ということ」は、この機の上に座る空引き工の仕事ではないでしょうか。
物語の舞台である江戸時代当時は、この仕事をする職人の生活は苦しかったことが分かります。
翁草【おきなぐさ】
室町時代から江戸にかけて書かれた随筆をまとめたものです。
「高瀬舟」の元となった「流人の話」は、巻百十七に収録されています。
活字本【かつじぼん】
当時、本を印刷する際には、写本(筆で書き写す)か、木版(1ページを反転させて木に彫ったもの)か、活版印刷がありました。
活版とは、木の枠に活字という反転した状態のスタンプのようなものを並べて(版を組んで)印刷する方法です。
日本語では、漢字・ひらがな・カタカナがあるため、用意する活字の量が多くなります。
鴎外が読んだ校訂版の本は、活版印刷されているものです。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には、主人公のカンパネルラがこのような活版所で仕事をしている様子が描かれています。
最近はレトロブームやおしゃれ文房具ブームなどで再び注目を集めており、植字や印刷を体験できる工房などがあるようですから、ぜひお試しください。
- 印刷博物館(TOPPAN/凸版印刷)
- 市谷の杜 本と活字館(DNP大日本印刷)
杓子定木【しゃくしじょうぎ】
融通が効かないことや、何に対しても一通りの見方や対処をすることです。
ユウタナジイ
安楽死のことです。
英語では「euthanasia(ユーサネイジア)」といった発音になります。
「euthanasie」という表記で、ドイツ語では「オータナジー」、フランス語では「ユータナジー」と発音するようです。鴎外はフランス語の発音を採択しているようです。