「こんな夢を見た」…見るな!

「こんな夢を見た」で有名な夏目漱石の『夢十夜』です。
美しい謎の美女、幻想的なシーンの数々から、何度も映像化、舞台化、漫画化された、全10編の作品集から選ばれたのは……「なんでこれにしたの?」という『第十夜』です!! 最も意味不明で、別に美しくもなんともない『第十夜』の見所とは!
『夢十夜』については、もはや多くの人によって色んな解説や分析が出されているので、深くは言うまい(深く知らない) あくまでも劇団ののが思う、「ここがヤバい!」という点について、一緒につっこんでいきたいと思います。
栗田ばねがイラストとコラムを担当してくれた、テキストの解説と合わせてお楽しみください!(そちらはめっちゃ真面目です!!)

 

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『夢十夜』といえば、皆さん、「こんな、夢を見た」という書き出しを思い浮かべるのではないでしょうか。
栗田ばねが調べたところによると、実は、全ての話がこの始まり方をするわけではなく、第一、二、三、五夜だそうで。『第十夜』は、全然違う始まり方です。

 

 

そして、『夢十夜』を想像する時に、幻想的な美しいお話を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
それ、多分『第一夜』です。美しい女が現れ、男に「もう死にます」と言う。「死んだら埋めてください」「100年待っていてください。きっと逢いに来ますから」と。墓を掘って待ち続ける男。しかし女は来ない。やがて白いユリの花が1輪咲いて、男はその花にキスし、遠くの空に暁の星を見ると、もう100年経っていたことを悟る。
わぁ! なんて幻想的な光景!

 

実は、わたしが大学に入学してすぐの頃、演劇部やダンス部の先輩たちが、『夢十夜』を舞台にしていたんです。1年生のわたしは、それを観て、物凄い衝撃を受けた記憶があります。舞台装置、衣装、照明、振り付け、アイテム使い、宣伝美術、使用曲など、どれもこれも印象的で、まさに総合芸術でした。当時の出演者の中には、その後プロのダンサーや舞台俳優になった方もいて、今も活躍しています。
その後、大学卒業までサークルで舞台公演をしている時は、いつも、どこか必ず、その公演を意識していたほどです。必ずしも振り付けや演出を真似したわけではありませんが、その奇想天外さ、美しさ、出演者の放つ熱量、それを観た時の衝撃を、自分の中で忘れないようにしていた、という感じです。今も、美しいシーンの数々をありありと思い出せます。
「100年待っていてください」と語りかける着物姿のダンサーの女性、舞台にスーッと咲いてくる真っ白いユリの花。差し込む光の筋。感動のシーンでした。

 

ところが。
どうですか。
なんですか、この『第十夜』は。

 

美しいのって、『第一夜』で、後はおかしな話ばかりなんですよ。特に『第十夜』は、最もナンセンスだと言われています。

 

ところで、『第十夜』に出て来る美女は、この『第一夜』の女と同じ美女なんでしょうか? それとも、違う美女なのでしょうか? わかりませんね。そこは明かされていません。
どちらにしても、夏目漱石の他の様々な作品に出て来る、大人しくて謎めいた青白い美女像に、近いものがあります。
そして、『第十夜』の登場人物、庄太郎は、実は『第八夜』にも出て来ます。
主人公は違う男「自分」。
その「自分」が床屋に行くと、鏡の中に、パナマ帽子を被った庄太郎が歩いて行くのが映り込みます。庄太郎は、いつの間に捕まえたやら、女を連れて歩いている。女の顔をよく見ようとしたら、もう行っちゃった。

 

 

この鏡に映ったのは、もしかしたら、『第十夜』で庄太郎が女について行ってしまった、その瞬間なのかもしれません。
そう考えると、ちょっと監視カメラの映像とか、目撃証言っぽくないですか? 鏡越しというのが、また良い。
こうして、一見全く関係ない話同士に微妙な関連があるのは、面白いですね。夢って、時々、はちゃめちゃでナンセンスなわりに、妙にリアルなポイントが混ざっていたりするものです。
このシリーズは新聞に連載していたものですが、『第八夜』を書いてから、そこに出て来た2人を再度登場させたのでしょうか。それとも、全部の構想を済ませてあり、『第十夜』の2人を『第八夜』に予告のようにちょっと出しておいたのでしょうか。謎です。

 

ところで、『第十夜』について、色んな文献、感想、ブログ、解説を読んでいると、結構、真面目なものばかりでした。まぁ、そんな文章を書くような人なので、みんな真面目に読んでいるのでしょう。
「夢とは何だ」とか。「7日間という数字は、聖書っぽい」とか。もちろん「豚のエピソードは聖書の引用だ」とか。
とても面白かったです。分かりやすいし。勉強になりました。

 

しかし!
わたしは、「ダウト!」と言いたい。
というわけで、わたしが「おい!」と思ったポイントを紹介しましょう。

 

その前に、このお話、構造がやや複雑なので、説明します。
まず、「自分」というのがいます。夏目漱石さん自身なのでしょうか? 夢を見ている主人公です。「自分」は、「健さん」っていう人から「庄太郎」の身の上に起きた話を聞かされます。
そして、庄太郎をさらってひどい目に遭わせた「女」。あとは、庄太郎が行方不明になって心配する親戚の人々や、7日後に帰って来たときに庄太郎を出迎えて心配する町内の人たちが出て来ます。

 

 

この話に出て来る人たちが、とにかく変なんですよ!!

 

1人目はもちろん、中心人物、庄太郎。

 

まず、彼は町内一のモテ男で、すごく善良で、正直者だそうです。
って、ほめた後なのに。
彼には趣味がある、それは、夕方から果物屋の前で座って、通り過ぎる女の顔を見ては、しきりに感心すること……「そのほかにはこれというほどの特色もない」
って、次の文ですぐ切り捨てるんですよね。

 

いやいや、さっきほめたじゃん!
しかも特色がその趣味だけってどんなヤツだよ!

 

結構な趣味ですよ、「女を見る」
バードウォッチング的な。
そして、あんまり女が通らない時は、果物を眺めてるらしい。

 

暇すぎ……!!!!

 

どうやって生計立ててる人なんですかね?
あ、この果物屋さんの人か。
と思うじゃないですか。
違うらしい。
「やっぱ商売するなら果物屋に限るよね」的なことを言いながら、自分は特に店をやるわけでもなし。
時々、夏ミカンを眺めて「色がいい」とか品評する。
でも、絶対お金を出して果物を買ったことはない。

 

めっちゃ迷惑!

 

何しに来てるんですか、他人の店に。
女が通らない時は家に帰りなさいよ。
この店の店長はどう思ってるんですかね。毎日毎日、パナマハットかぶった庄太郎太郎がヘラヘラ店頭に座ってること。プチ営業妨害じゃないですか。現代なら間違いなく通報モノ、または動画で拡散されて夕方のニュースになる案件かと思われます。

 

でも、町内の人からは、別に呆れられも見放されもせず。庄太郎がさらわれたり熱を出したりしたら、みんな凄い心配してるんですよ。
何故かっていうと、やっぱり、庄太郎がいいヤツだからだと思います。なんたって、善良で正直。

 

いいヤツなので、ある時タイプの美女が現れて、果物のカゴをさして「これを下さい」って言ったら、庄太郎は、すぐに取って渡して差し上げるわけです。

 

って、待って庄太郎!
お会計した?
そもそも自分のお店じゃないし、店員気取りでカゴ渡すなよ!

 

そして庄太郎、やっぱりいいヤツなので、女が「カゴが重たい」って言ったら、「家まで持ってってあげる」って言って、ホイホイついて行ってしまうわけです。
ここでも漱石、「庄太郎は元来 閑人(ひまじん)の上に、すこぶる気さくな男だから」って書いているんですが、ちょいちょい庄太郎に毒を吐くのは何なんでしょう? 愛情の裏返し?

 

 

もう1人、ヤバいヤツを紹介します。なんと言っても、健さんですよ。

 

物語の1番初めの文は、庄太郎が女にさらわれて、7日経って帰って来たら熱を出して寝込んでる! って、「健さんが知らせに来た」っていうところから始まります。

 

健さんって誰!?

 

健さんって言ったら、かの有名な不器用な健さんしか知りませんが。
いきなり登場して、特に何の説明もなし。おそらく町内の仲間なのでしょう。

 

そして庄太郎から聞かされた、「女にさらわれ、崖っぷちに連れて行かれ、豚の大群と戦った」という一連の流れを語り終えて、健さんが放った一言が、こちらになります ↓

 

健さん「だからあんまり女を見るのはよくないよ」

 

……え! そこ!?

 

自分「自分ももっともだと思った。」

 

自分、まさかの同意!?

 

ハイ! この話の教訓は、「あんまり女を見るのはよくない」ということになりそうです。まぁ、たしかによくないよ。皆さんも、女を見る際は気を付けてください。

 

そして、衝撃の結び。

 

自分「けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたいといっていた。庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう 〜fin〜」

 

健さん!! サイコパス疑惑!!!!!

 

「庄太郎、もう死ぬっぽいし、あの帽子ほしいなぁ〜」ってどんな友人ですか。形見分けフライング。
そしてそれを平然と聞いてる自分も自分でしょう。どういうテンションなんだろう??
でも、そこがまさに夢っぽいところなのかもしません。夢の中で、物凄い恐怖や焦りを覚える時もあれば、逆に、現実ではもっと焦るようなことが起きていても、何故か冷静に受け入れてしまったり。

 

最後に1つ、なんじゃこりゃ、と思ったポイントを紹介します。

 

それは、女が庄太郎を崖っぷちに連れて行き、「ここから飛び込んでごらんなさい。思い切って飛び込まなければ、豚に舐められます」と言った時のことです。
(それ自体、そもそもどういう条件なんですか)

 

 

自分「庄太郎は豚と雲右衛門(くもえもん)が大嫌いだった。けれども命にはかえられないと思って、やっぱり飛び込むのを見合わせていた」

 

またサラっと流しそうになったけど、雲右衛門って……誰!?

 

クモえもーーーーーーーーん!!

 

これに関しても、この一言しか出て来なくて、もう次の瞬間には豚がブーブーやってきてクライマックスになってしまうので、やっぱり何のことやら分かりません。

 

お恥ずかしながら知らなかったのですが、桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)さんっていう、明治から大正に掛けて活躍した浪曲師の方がいたそうです。
すごい売れっ子で、浪曲の社会的地位を上げるきっかけとなった人。レコードも出している。彼を主人公にした映画や小説まであるようです。

 

で?
庄太郎が嫌いな雲右衛門が、この人だとして、です。
なんで嫌いなの?
なんで豚と並列で嫌いなの?

 

本当に、なんで嫌いなのか、よく分かりません。他に嫌いなものないのかな??
当時、漱石が雲右衛門さんを嫌いだったのかもしれません。「嫌いな芸能人」みたいな。
雲右衛門からしたら、とんだとばっちりですよ、急に新聞連載の小説で誹謗中傷されて。これが有名税ってやつですかね。

 

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嗚呼。
「なんだよそれ!」というポイントしかない、『第十夜』でした。
お口直しに素敵な素敵な『第一夜』を読むことをオススメして、この記事を終わりにしたいと思います。

大人ならリドルをたしなめ!

劇団のの「夏の怪談スペシャル」第1作目、その名も、『縊死体』=「首吊り死体」です。ぶるぶる。
“夏の” 怪談スペシャルって言って始めましたが、半年計画になっております。
今までもキャストが「ちょっとぉ、この人間関係、もはやホラーじゃ〜ん」って言うような作品はあったのですが。『竹の木戸』とか『秋』とか。ついに来ました、本物のホラーです!

 

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皆さんこんにちは。いつも複数名が出演する作品で名演技を見せてくれている、そしてまた、後半のフリートークに多数出演している我等が梅田拓さん、初の単独作品です! パチパチパチ。

 

ところで今回『縊死体』のテキストは、解説のページをお休みさせていただきました。「本文」と「語彙」のみになります。それにはマリアナ海溝より深い理由がありまして。

 

なんだか……調べられることが、何も無かった!!

 

って、言うとサボってるみたいなんですけど、スズキさんと「何を書こうかね」って、ちゃんと何度も相談したんですよ。そして「何も書けないね……」という無力感と悟りが溢れる結論に辿り着きました。

 

『蜘蛛の糸』にはお釈迦様が出て来るので、「輪廻」とか「地獄」について書きました。
『遠くで鳴る雷』にはキュウリや雷が出て来るので、「雷の仕組み」や「キュウリのレシピ」とか書きました。

 

で……。

 

『縊死体』には、まんま縊死体が出て来るわけなんですけど。「縊死」って首吊り死のことですからね……どうしましょうね……。
詳しく調べて事細かに書くのとか、イヤだし。なんか、「世界のいろんな死に方」とか図解するの、もっとイヤだし。って、なりました。

 

しかし、作品選びや編集の過程で出た、“A4見開きにはならなかったけど、ちょっとした世間話”を、したいと思います!

 

『縊死体』お聞きになっていかがでしたでしょうか?
まだというお方、ぜひぜひ聞いてください。
吉田素子さんは、暗い部屋で1人で聞いてて、とても怖くなって、途中でやめたらしいですよ。吉田さん、ぜひぜひ最後まで聞いてください。
内容とか効果音じゃなくて、とにかく梅田くんの声で怖くなったらしいです。わたしもスズキさんも、編集・確認作業してて怖くなりました。内容じゃなくて梅田くんの声で。

 

 

怖い話だからといって暗い感じで読むんじゃなくて、ちょっと前のめりにテンション高くて明るい雰囲気が、逆に怖いんですよ。笑顔で読んでるのかな? っていう声色なのです。

 

この男、一般的にはサイコパス殺人鬼、快楽殺人のお話だと考えられています。
あ、ちがうちがう、梅田くんじゃなくて、主人公の男の話です!!
恋仲になった女性があまりに美しいから絞め殺してしまう。それで、ホッとするんですって。
えー……。
「万一こうでもしなければ、俺はキ●ガイになったかも知れないぞ」とかぬかしてるんですけど、その発想が既に貴方……! 「ぞ」じゃないですよホント。
かわいそうな女の子。本人も、「可哀想な下町娘」とかぬかしてるんですけど、じゃあ殺すなよ……! と、多くの人が憤ることでしょう。(もし、彼の気持ちが解っちゃった人がいたら、先生は怒らないので、放課後にこっそり教えてください)

 

 

このお話が書かれたのは、大正時代です。
皆さんは、エド・ゲインやバンディなどの名前をお聞きになったことはありますか? いわゆる「全米を震撼させた」系です。仰天ニュースとかアンビリーバボーで再現ドラマになるような、有名なサイコパス殺人鬼/シリアルキラーの事件。
それよりも、何十年か前に書かれたものとなっております。なんとも時代の先取りな夢野さんですね。
もしかして、自伝……? ちょっと心配になってきました。

 

主人公は、新聞を買って公園のベンチに座り、自分が殺した事件が載っていないかと、目を通すのが日課になってます。
事件が記事になってないって判ると、ニヤッとする。
これはどういう心境なんでしょう? まだ事件が世間に発覚してないっていうのが嬉しいんでしょうか? 「ハハッ、バカな警察だ。つかまえられるもんならつかまえてみな! キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン!」っていう満足感なのかなぁ? 殺人を犯してから、もう1ヶ月の間、気になっちゃってるんですね。
ご遺体も1ヶ月間放置……Oh……

 

 

ところで。
このお話の最初、「どこかの公園のベンチである」で始まるんです。そう、解らないんですよね、具体的な場所が。
そして、読み進めて行くと、踏切の名前が登場。
今回の朗読音源では、音をボカしてあるの、お気付きになりましたか? スズキさんが、機械の音でキュルキュルッと加工してるんですよ。ホラーっぽくて、すごい怖い。かっこいい編集ですね。あの部分、本文では「××踏切」って書かれてるんです。
名前がハッキリ出て来なくて、場所が判らない。

 

 

だからもう、主人公が場所をごまかして体験談を語っているのか、見た夢の話をしてる設定なのか、はたまた妄想のつもりで言っているのか、よく解らないのです。

 

そんなこと言ったら、フィクションの小説だし、本当のことだったら夢野久作さんが逮捕されちゃうし、全部ウソに決まっているのですが。
例えば、今までの独歩や芥川の作品だと、地名、季節感、時間の移り変わり、情景描写がすごいリアルで、そのリアリティーゆえに感情移入させる手法を取る。そういう “作り込みが凄い作品” に慣れてしまっているので、ぼかしぼかしされると、釈然としないのです。シュールレアリスムの絵を眺めてるようなもどかしさです。

 

そして、その釈然としない重要な一因は、「リドルストーリー」ゆえだそうですね。

 

あ、そっかぁ! リドルストーリーだからか!

 

リドルストーリーって……何ですか?

 

リドル・ストーリー (riddle story) とは、物語の形式の1つ。物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題としたストーリーである。リドル (riddle) とは「なぞかけ」を意味する。
(Wikipedia様様より)

 

例えば、この作品で言うと。
主人公はある時ついに、新聞に「怪死体発見」の記事を見付けます。でも遺体は「会社員らしい若い背広男」とある。(この時点で主人公がどう思ったかは書いてありません)
とりあえず、いてもたってもいられなくなって現場に見に行くと……!? やはりの! 男が見たのは自分の遺体。「これ自分じゃん! え、警察の罠?」
など思ってびびっていると彼女の笑い声が! 「あたしの思いがおわかりになって?」
わぁぁぁ!!! こわいよぉぉぉ!!!

 

ハイ!
気付きました?

 

最初に読んだ時、わたしはもちろん、何も気付きませんでした。流すことや理解しないことについては天才的なので。
この結末をパッと読んだり聞いたりすると「あぁ〜、そういうオチか〜、殺されたの主人公か〜」と思って通り過ぎてしまうんですが……言われてみたらおかしいぞ!?
では、一緒に検証、行ってみましょう! それ!

 

まず、首くくって死んだのが男なんだとしたら、その男の死体を見ている自分って、一体誰なの……?
1ヶ月の間、新聞記事を探していたと言ってるけど、本当は男はもう死んでたの!?
死んでたけど本人は気付かなくて、幽霊になって公園にいたってこと?
もし1ヶ月前に殺されたのが男なんだとしたら、「娘」とやらは本当は死んでないはず!
死んでないんだったら、聞こえてくる女の声が言ってる「あたしの思い」って何のこと?
あ、もしかして、たった今、過去が変わってパラレルワールドになったってこと!?
つまり、1ヶ月前に死んだ女の霊に、恨みで呪い殺されたってこと?
じゃあ、やっぱり女も死んでるってことになる。そうすると、女の遺体はどこにいったの!?

 

わぁん。こんなにいっぱい矛盾点がある。書いてる自分が1番混乱しております。
こんな風に、数々の謎の連鎖が残ってしまう、というよりもどんどん生まれて行ってしまう、自己矛盾を孕んでいる、それが、恐るべし、リドルストーリーだ!
自主的に「なぞかけ」しておいて、答え言わないで終わるの、ちょっとひどくないですか? モヤモヤさせられたこっちサイドからしてみたら、軽い当て逃げ被害ですから。

 

実は、世界にはこういうモヤモヤ話がたくさんあるらしく。わざわざ創るんですよ、そういう、理論上答えが出ないやつを。
なにせ、リドルストーリーには「知的な読後感」があるそうです。まぁ、たしかに頭使うしね……。モヤモヤしたい人とか、哲学したい人とかには、結構ウケがいいみたいです。頭がいい人にも、かなり人気っぽいです。(っていう情報の出どころが『NAV●Rまとめ』なのが、早速賢くなさそうなんですけど)
大人の味なんですね、きっと! 松前漬けとか。カニ味噌とか。スコッチとか! トリックアートとか現代音楽が解る人は、いけるんじゃないですか?(謎の偏見)

 

わたし、いくつか読んだけど、無理でした、リドル! モヤモヤする。
まだ早かったみたいです。ずっとオムライスとハンバーグでいいです。
やっぱ、大人の階段リドルでのぼる、その先に待っているのは、謎の答えじゃなくて、無駄に謎かけされても寛容でいられる心構えなのでしょう。

遠くに流れるキュウリ

きゅうり

 

さてさて、今回公開された『遠くで鳴る雷』。
どんな、お話なのか。
本編の後の、スズキヨシコ、吉田素子、梅田拓のトークを聞いた後、
この記事を読んでいただけましたら、幸いです!

 

まず、作者=小川未明(おがわみめい)さん。
この方は、「日本のアンデルセン」なんて呼ばれてる人で。
彼が日常生活において「おい、アンデルセン!」
などと呼び掛けられていたのかは謎ですが。
で、「紀州のドンファン」さんは、
「ねぇ、ドンファンさん」って呼ばれてたんですか?

 

アンデルセンの異名の通り、未明さんは、児童文学を書く人です。
大体、明治後期〜大正時代中心〜昭和初期に掛けて、戦前に活躍しています。
ちょうど、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』の時代なのです。
『花子とアン』のヒロインも英語の児童文学を翻訳していたのですが、
子どもの教育が発展し、海外から多くの児童文学が輸入・翻訳され、
ラジオでのお話の読み聞かせなども発展した時代です。
「児童文学界の三種の神器」などとも言われ、御三家の1人でした。
3人の中では、比較的、野口五郎ポジションでした。

 

小川さんの作品は、『赤い蝋燭と人魚』が有名なのではないでしょうか!
『遠くで鳴る雷』は、無名 of 無名です。

 

このお話の主人公は、少年二郎。(ラーメン二郎っぽい)
そして、あと、家族は母しか出て来ません。
トークでスズキさんが指摘している通り、
「二郎がいるからには、兄の一郎または太郎がいるはずだ」と思われます。
いきなり長男にあえての「二郎/次郎」って付けるのは、斬新すぎるし。
隠しキャラ、兄の「一郎さん」、どうしたんでしょうか。
自立したんでしょうか、メジャーリーグに行ってしまったのでしょうか。
祖父母や父も出て来ないし、三郎や四郎もいないっぽい。

 

大人の小説では、設定の細かさでリアリティーの底上げをするために、
本筋に直接絡んで来ない余分な人や物、地名が沢山出て来て、
その世界観に萌えたりするわけですが、
子どもは余分なことは頭に入らないから省くのでしょうか?

 

シンプルな物語世界。
中でも、ものすごいウェイトを占めているのが、キュウリ!
もはや、主人公は二郎じゃなくてキュウリなんではないかと。
タイトルは『遠くで鳴る雷』だけど、いや、「雷」なんて……。
最後の方にチョロッと鳴るぐらいで、キュウリと比べて、影、激薄ですから。
当時の出版社の編集さんは何を思ってこのタイトルにしたんだか。
『キュウリ』でしょ、絶対。

 

 

前半、すごいワクワクするんですよ、この話。
小学校の時、ホウセンカやアサガオを育て(させられ)ませんでしたか?
あの頃を思い出しちゃったりして、大変ほのぼのするんです。
この辺り、スズキさんの選曲で、
ピアノの練習曲っぽい感じが、大変よく合っています。

 

 

で、ある日、お母さんが遂に「GO!」と。
立派になったキュウリ!

 

きゅうり

 

お母さんが調理してくれて、おいしく食べて、ハッピーエンドだ!
まるかじりか? 浅漬け? 味噌? ピクルスか!?
って思って読み進めてたらですね!

 

お母さん、ドえらい変化球投げて来るんですね。
「これは水神様にお供えします」
「キュウリにおまえの名前書いて、川に投げて来い」
って言い出すわけですよ。

 

え!

 

ガクブルですよ。
丁寧な言葉で淡々と言うから、
なんかもう、母ってサイコパスなのかな、って思いましたよ。
いやぁ、「二郎は反抗的な態度を取らなくて偉いな」って思いました。
これがもし、そこらへんの並みの二郎なら、
「させるか!」「水神にやるキュウリなど無いわ!」
とか言って、その場でキュウリ丸呑みしちゃいますよ。

 

お母さん的には、水神様に捧げるために育ててたみたいですね。
二郎ちゃんがよく川遊びをするので、
水難事故に遭わないように、よろしくってことみたいです。

 

水神様というのは、「すいじん」とも「みずがみ」とも言い、
農業には欠かせない神様です。
何せ水田もありますし、畑にも水やりしますし。
河川の氾濫とか、日照りとか、天候にも関係あります。
怒らせずに仲良くやって行きたいわけです。
色んな姿がありまして、龍や蛇の姿をしたものであったり、
天女のようにひらひらした服装の女性だったり。
地域や、その池、川、滝などによっても、
伝わるお話や、祀ってる神様が異なってくるみたいですよ。

 

中でも、キュウリと言えば、カッパのイメージありませんか?
カッパ巻きってキュウリの海苔巻きですよね。
カッパはどっちかと言ったら妖怪カテゴリーじゃん? と思いますが、
かつては、水神様カテゴリーだったらしいです。
あと、ほら、カッパって相撲も好きじゃないですか。
好きなんですよ、相撲が。
相撲って、なんかもう最近はめくるめく色々がありましたけど、
元々は、神の前で行う、清い神事ですから。
カッパ=相撲好き=水神=キュウリも好き、です。

 

 

で、母の言い付け通り、川にキュウリを流す二郎ちゃん。
ボチャン。

 

この辺り、もう、アニメ『ラスカル』の最終回で、
少年スターリングがラスカルを自然に返すシーンぐらい泣けます。
初めて藁からミルクを吸ってくれたラスカル、
いたずらしたラスカル、一緒に眠ったラスカル、
俺のラスカルみんなのラスカル、
めくるめく走馬燈の思い出が脳内高速回転してる中、
ラスカルを残した岸から、小船で、涙ながらに離れて行くわけです。

 

「ラスカルー!!!!!!」

 

アライグマ

 

ほぼほぼ同じですよ。
あんなキュウリや、こんなキュウリ、
あの日のキュウリや、この日のキュウリ。

 

「キュウリー!!!!!!」

 

キュウリがこれからどんな目に遭うのか、今いずこか、
と、夜もぎんぎんにキュウリのことを考え続けてしまいます。
子どもの時って、そういう不安ありましたよね。
バスに置き忘れた傘が、今頃どこかで暗い倉庫で泣いてるんじゃないかって思ったり。
特に、夜1人で布団に入ってると、そういう怖い想像をしますよね。

 

なんていうか……ほんと……二郎ちゃん、きっとキュウリは大丈夫。
もしかしたら二郎ちゃんも薄々気付いてるかもだけど……
キュウリって、ほら、感情とか全然、無いじゃん?
「二郎を水神様の生贄にして村が守られる」的な話じゃなくて良かったじゃん!

 

で、この話、すごい展開が二転三転するんですよね。
わたしの想像力の限界では、
下流まで流れて行って、カッパが食べましたとさ、とか。
海まで流れて行ったキュウリは、広い世界を見ましたとさ、とか。
そんなもんじゃないですか。
とりあえず「はい、めでたし!」って感じだと思っていました。

 

ところが!
なんと、下流で乞食の子どもが発見して、拾っちゃうんですね。
初見の時(ぶっつけ収録でしたけど)声に出して「え!?」って言いました。
なんかもう、全く考えてもいなかったです、この筋を。

 

まず、わたしがびっくりしたのは、母と二郎以外の人物がいきなり登場したこと。
「人間、他におったんかい!」 っていう、その驚きが1番でした。
だから、この展開が何を表してるのか、色々考えましたけど、解らない。
「下流に貧困な集落があるのか?」「低層な階級の出身者なのかな」
「川辺の森で人目を忍んで暮らしてる親子なのかな」「水神の化身?」とか。
その人たちそのものに興味が湧いちゃって。

 

吉田さんがフリートークの中で言っているのは、
せっかく育てたキュウリを、
赤の他人が、いと簡単にかっさらって行くということに対する、
ちょっとした不満というか、「えー……」っていうガッカリ感。
これは完全に二郎目線で、子ども読者に最も近い目線だと思いました。
通過儀礼(キュウリと別れる)を経た子ども(主人公二郎)が報われず、
新参者の第三者(まだあんまり感情移入できない)が、得をした。
自分が努力したり、我慢したり、冒険したりしたら、当然、
褒められるか、何か手に入れるとか、報酬のある結末を期待します。
そりゃ、「えー……」ですよ。

 

梅田くんが唱える説は、ちょっと違って。
二郎が育てた命、キュウリというバトン、
これが、川・水という命の象徴である線を伝って、
別の子ども、すなわち、二郎と同じく未来ある存在に渡されると。
「乞食」と言うからには二郎の家庭よりも圧倒的に貧しいでしょうし。
この子はしかも、発見して拾い上げたキュウリを、その場で食べず、
恐らく同じく貧しく飢えている、母と妹に持ち帰るのだ、と。
持てる者から持たざる者への命のリレー、みたいな解釈をしたようです。
そして、ここで遠雷が鳴って「もう夏であります」と。
新しい季節への予感、夏の清涼感まで出してるんだそうな。

 

うわぁぁぁ! 達観してるよぉぉぉ!
梅田くんはもしかしたら、平成の日本において、
最も小川未明のソウルが解るメイトなんじゃないですか?

 

わたしはと言えば、
「最後に適当に雷鳴らして、ちょっとタイトルに寄せて来るのかよ!」
と思った。
以上です。
本当に文学専攻で卒業したんですかね。

 

雷

 

ちなみに、「遠雷(えんらい)」って、
遠くでゴロゴロ言ってるイメージですか?
それとも、遠くでビシャーンって鳴ってるイメージですか?
文中からは、どっちともつかないです。
ただ、数キロ先まで迫って来てます、音が聞こえてるってことは。
遠くでも意外に近いので、気を付けなければ。

 

作中では「もう夏であります」と言っていますが、もう……秋であります。
キュウリが1番おいしいシーズンを、がっつり外してしまいました。
(6月14日が世界キュウリの日らしいですね)
なので、今年はまぁ、楽しかった夏を思い出しながら聞いていただいて。
来年の6月に、もう1度聞いていただきたいと思います!