いろいろ推理! 汽車の旅

 

芥川龍之介『蜜柑』の世界について……
物語の舞台になる横須賀に行ったり、
物語に登場するSLが走っているところを間近で見たり、
色々経験致しましたので、少しお話しようと思います!

 

蜜柑メインビジュアル

 

まず、『蜜柑』の主人公「私」について。
フリートークの中で、スズキさんと吉田さんが話していますが、
「私」って、何歳ぐらいの、どんな人だと思いました?
吉田さんは、「男だと思った」と言ってましたね、
「だって、新聞読んでるし、煙草吸ってるし」と。
そう感じる人は多いと思いますよ。
そしたらスズキさんに、「はい、それがあなたのジェンダー感です」とハメられましたね。
吉田さん、「くそっ!」と悔しがってましたが。
まぁ確かにこの話、主人公は女性でも老人でも、成り立つと言えば成り立つのですが。
吉田さんは、あながち、間違っているわけではないんです!

 

 

解説にも書きましたが、このお話は、芥川さんが実際に体験したことを書いているとされています。
本当かどうかは解りません、もう芥川に訊けないし……残念!

 

じゃあ、どうして実体験とされているか、と言いますと、
この作品が最初に雑誌に発表された時は、
『私が出遇ったこと』の、『一、蜜柑』として掲載されたからです。
つまり、「芥川のリアル体験シリーズ!」のコーナー、その中の「エピソード I:蜜柑!」なわけです。
(どうでもいいですが、もう1つあるエピソードII『二、沼』の方は、
『一、蜜柑』より、更に本当かどうかよく解らない感じの話です)

 

そしてまた、主人公の「私」という人物が、どうも芥川さんの状況と重なります。
芥川さんは、大学を卒業後、大正5年から8年、
横須賀海軍機関学校に、英語の教官として務めていました。
このお話の時期設定は、
新聞の記事が第1次世界大戦の「講話問題」で埋め尽くされていることから、
大正7年であると推測されます。
そして、芥川は、鎌倉の家と職場との行き来に、横須賀発上り列車を使用していたんですね!
今でも防衛大学がありますから、
横須賀の街を歩いていると上下白の制服に帽子を被った学生を沢山見掛けます。
そんな、若く、志を持つ学生さんたちに教えていたのでしょうか。

 

 

芥川は、作家として作品を発表しつつ、収入のために教師を兼任していました。
婚約者への手紙の中でも、芥川自身、
「作家は今の日本で1番儲からない仕事だと解っている」と書いています。
当時、若くて無名な作家をしながら記者をしている人などが沢山いました。
現代でもそうですよね、
俳優の卵をしながら、夜は居酒屋でアルバイト、
細々と作曲家をしながら、自宅の居間でピアノの先生……
芸術家は、高収入でなければ、兼業している人の方が多いことでしょう。

 

でも芥川は、小説だけ書いていたかったんですね。
友人や婚約者への手紙の中では、この兼業について、
「不愉快な二重生活」であると、苦しみや屈辱を語っています。
まぁ、愚痴ですよね、愚痴。
なんか、芥川って、愚痴っぽいですよね!(偏見)
当時で英語の先生って言ったら、結構いい仕事だと思いますけどね。
そこは、小説1本で行きたいっていうプライドがあったでしょうし、
仕事してる時間も執筆に当てて集中したかったのでしょう。

 

噂によると、芥川は勤務最終日、庭先で、
「もう使わなくていいんだ! ファイヤー!」とばかりに、
英語の教科書を燃やしてメッチャ喜んだそうですから、
それほど、本当にイヤだったんですね!

 

で、お話の方に戻って、主人公「私」を見てみましょうか。
メッチャ、暗い!
暗いよ!

 

お話始まった1行目の1語目から、冬だし、曇ってるし、日暮れだし、
駅はひとけ少ないし、犬は悲しげに泣いてるし。
なんだか、景色も音も、悲しげでつまらん感じです。
主人公は、汽車に座って、これらの景色を眺めたり、新聞に目を通したりしてるんですが、
登場一発目から、ずっとダルそう。
何があったんだよ!?
そしてめっちゃ「疲労と倦怠」を強調してくるわりに、理由や回想シーンなどは語られず。
背景を読者に共有する姿勢、一切なし。

 

実は、大正時代に「厭世家(えんせいか)」っていう1つのスタイルが流行ったんだそうですね。
この主人公は、その走りとも言えるようです。
ちなみに「厭世」というのは、形容動詞で、
「人生に悲観し、生きているのがイヤになっている」こと。
だから、厭世家は、理由とか経緯はどうあれ、厭世してるっていうわけです。
「もう、そういう人なのよ、俺は!」っていうことですね。
基本、自分自身とか世の中をつまらなく感じてて、不機嫌。
まさに、この主人公です。

 

時代は進みますが、1950年代、第二次世界大戦後、いわゆる冷戦時代にも、
イギリスを中心に、ロックの音楽などの走りで、そういうのが流行します。
舞台『怒りをこめて振り返れ』の主人公ジミーは厭世家の極み。
最初から最後まで、とりあえず全てに怒り散らして、世界に絶望しています。
戦争や大改革の前後、社会全体の風潮として、
若者が絶望したり、無気力になったりする、
逆に怒りに駆られたりする時代っていうのが、度々あるんですね。

 

まぁでも、仕事に疲れた現代人とかの方が、
この「私」の気持ち、解るかもしれないですね。
人生こんなはずじゃなかった、何やってるんだ自分は?
不景気のせいなんじゃないの?
○○政権のせいなんじゃないの?
年金もらえるの?
残業とか過労死とかしたくない!
こんなもののために生まれたんじゃない!(®鬼束ちひろ)

 

本当にあったお話かどうか解らないので、実在の人物なのか定かではありませんが、
もう1人の重要な登場人物は、「小娘」さんです。
自分の想像では、人形作家の与勇輝さんが作るお人形さんのようなイメージですな〜。

 

まず、「小娘」って呼び方はどうなんだよ! って話ですよね。
ここでは「少女」って呼んでおきましょうね。
主人公の、少女に対する評価は辛辣です。
汚い、落ち着かない、貧乏くさい、田舎くさい、不愉快、みたいな。
読んだ人はほとんどみんな、
「ひどい! 何様!? 上から目線!」って感じるんじゃないでしょうか。
スズキさん・吉田さんからの主人公への好感度はとりあえず、
10段階中、マイナス3ぐらいですね。

 

スズキさんが指摘しているのですが。
主人公が乗っている車両は二等客車で、今で言う指定席のグリーン車です。
当時、横須賀線の二等車は、軍隊関連の人や収入が高い人が使っていたようですよ。
少女の手に握られているのは、三等客車の切符。
追加料金を払ってないので、本来、違う車両にいるべきなんです。
「俺の、素敵グリーン車空間がぁぁぁ!」というのが、
主人公のイライラなのではないか、という。
主人公は、疲れてるから、静かに寛ぎたくて高い券買って、
やっとシートに座って一息ついたのに、
なんか空気読めない、うるさい音立てる、身なりの汚い子どもと相席になった。
「余計、疲れるじゃん、俺!」ということなのでしょう。
確かに、これはちょっと同情できるかもしれない。

 

少女は世間知らずで、料金のことなど、あまり知らなかったのでしょう。
汽車に乗るのだって、初めてだったかもしれませんよね。

 

それを裏付けるエピソードがありまして、
少女は旅の途中、トンネルの中で、汽車の窓を開けようとするんです。
現代人にはピンと来ない内容なのですが、
汽車に乗っていて、特にトンネルの中で窓を開けるのは、
絶対にしてはいけないNG行為です。

 

汽車の煙突からは、煙や煤が出続けています。
窓を開けると、多少なりとも、風に流れてこれが車内に入って来ます。
トンネルの中では、狭い空間に、更に煙と煤が充満しています。
ですから、トンネル付近にさしかかると警笛が鳴らされ、
乗客は慌てて窓を閉める、というのが通常です。
それでもやはり多少入り込んでくる煤には悩まされたようです。

 

 

機関士さんなど乗務員は更に酷く、
1日の業務を終えると、顔もシャツも煤で真っ黒、鼻の中や口の中までジャリジャリ。
濡れタオルやゴーグルを使用して業務に当たることも。
それでも長いトンネルや設計の悪い古いトンネルでは、
機関士さんが気を失う、死亡する事故もありました。

 

だから、トンネルの中で窓を開けるなんて!
煙モクモクで、目も口も開けていられる状態ではないと思います。
実際は、文章で書いてあるよりも、もっと苦しいのではないでしょうか。
主人公が咳こんで呆れたり腹を立てたりするのは、当たり前かもしれません。

 

それもこれも、トンネルを抜けた先で、
感動のクライマックスシーンを描くため。
そして、その瞬間に、主人公のイライラも和らぐわけですが。

 

さて、トンネルの話になりましたので、横須賀線の話をしましょう。
「トンネルが多い横須賀線!」と主人公が言う通り、
三浦半島の中は山が多いので、本当にその中を縫っている感じです。

 

これは、横須賀駅。
実際に行って来た時の写真です。
レトロで可愛い雰囲気ではありますが、
残念ながら、芥川が通った頃の大正のものではありません。

 

 

駅前には、特に何もありません。
海、って感じです。
元々、横須賀は軍港で、明治22年、
港から物資を輸送するために、大船との間に線路が開通しました。
もともと人が住むための場所ではなかったわけです。
戦争が終わると、こういった線路は次々に廃線になりましたが、
横須賀線は、戦後もあちこちに延びたり繋がったりして、
今に至るまで、市民の生活路線として重宝されています。

 

 

ちなみに、横須賀駅には、『蜜柑』のために行ったのではありません。
京浜急行電鉄本線の、横須賀 “中央” 駅に用事があったのですが、
完全に駅名ミスって、間違えて辿り着いちゃいました。
でも「あ、ラッキー、『蜜柑』じゃーん♪」って思って、写真撮りました、えらい!
横須賀中央は、横須賀より少し東南の方にありますが、
皆さんが期待する「THE☆横須賀の街」というのは、こちら側になります。

 

 

米軍基地があり、外国人が多く、繁華街があり、カレー屋さんがあり、
港には第一次世界大戦で活躍した軍艦の「三笠」があって、
東郷平八郎さんの像が立っています。
賑やかで、おいしいお店がいっぱいあって楽しい所なので、
是非、行ってみて下さい。

 

 

横須賀駅のすぐ近くに、さっそくもうトンネルがありました!

 

 

で、蜜柑の舞台、つまり少女が蜜柑を投げたポイントは、
どのトンネルなんでしょう?

 

 

横須賀駅を出るとすぐ、最初のトンネルがあります。
主人公が「最初のそれに入った」と言っているトンネルです。
トンネルを抜けると、吉倉の街。
吉倉公園には、『蜜柑』の石碑があるようですね。
あるのは知ってたけど、間違えて着いた場所だし、時間ないし、
めんどくさくて行ってないので、写真はないです(行けよ!)
なので、この最初のトンネルが蜜柑ポイントだ! とする人もいます。
でも、主人公って、1回ウトウト眠ってるんですよね〜。
そして少女が窓を開ける音で目を覚ますんです。
ここが蜜柑ポイントだとすると、寝て起きるも、景色変わるのも、早すぎませんか?
という声もあります。

 

 

で、次は長浦の辺りでトンネルが2つあります。
1つ目がそこそこ長くて、2つ目の短いトンネルを抜けるとすぐ、田浦駅。
この辺が蜜柑ポイントなのではないか、というのが定説だそうです。

 

そして、ウトウト時間を考えると、もっと先なのではないかとも言われています。
田浦駅を出てすぐ、もう1つ長めのトンネル。
この辺になると、路線が東の海沿いからグッと半島を西側へ横切り、
逗子・鎌倉の方に曲がっていくところです。
だいぶ、山っぽい雰囲気に変わります。
また、鎌倉に向かう芥川の帰路の中間地点ぐらいです。
なので、この辺りがピッタリなのではないかという人も……。

 

確かなことは判っていません。

 

確かでないことと言えば、このお話に出て来る、当時の横須賀線の二等車、
横須賀線ということでボックス(クロス)シートのイメージが強いですが、
ロングシートなのではないか、という説が濃厚です。
なんか、イメージ違いますね。

 

では、何故そう言えるのか!!!!!

 

これは、「何故って、当時の横須賀線は、そうだから」っていうのを、
他の小説に出てくる描写とか、いろんな資料から、
鉄道オタクの人たちがいろんなサイトで言ってるんですけど。
1つ、うちのスズキさんが、実に理論的に明確に説明しているので、紹介します。

 

物語の中では、「私」が目を覚ますと、
少女が自分の席に隣に来て、窓を開けようとしているんですよね。
せっかく静かにうとうとしていたので、
隣で窓をバタバタやってて、うるさいわけです。
鼻水すする音もスンスンするし。

 

さて、ここがポイントなんです。
「私」の “隣” です!

 

クロスシート、またの名をボックスシートっていうのは、
通路(電車の進行方向)に対して垂直に、
2人掛けの席が向かい合って、箱型になっているタイプです。
2人で向かい合ってもよし、4人でワイワイ座ってもよし。
知らない人と相席になるのも、
コミュニケーションが生まれたりして、また一興。
のんびり駅弁食べたりするイメージですよね。

 

 

もし2人がクロスシートに座っているとしたら?
こうなります。

 

 

お気付きになりましたでしょうか!
「小娘」さんは、向かい側にいるまま自由に窓際に移動できるわけで。
別に、わざわざ、「私」の隣に移動してくる理由が無いんですよね。
万に1つ考えられるとしたら、少女の隣=窓際に、誰か腰掛けていた場合。
でも、後から来て、わざわざ少女の前を通って、通路より遠い窓際に座るでしょうか?
また、もう1人いたら、「私」はその人について何か書くでしょう。
なので、見える範囲で、2人きりだったと考えられます。

 

これがロングシートだと、文章の内容が合致します。

 

ロングシートは、電車の通路(進行方向)に対し平行に、
窓に背を向けるようにして、座席が向かい合っています。
名前の通り、1席が長いです。

 

これだと、向かい側に座った「小娘」さんが、
「私」の隣に移動してくる理由があるんです。
少女が座った側ではなく、「私」が座った方の窓から、蜜柑を投げたい場合、です。
こっちの窓からじゃないと弟たちが見えない、だから移動して来たわけです。

 

 

いかがでしょう?
ご納得いただけましたでしょうか?

 

あと、座席以外にも、当時の客車の特徴が!
少女の動作が窓を開ける描写から、
窓が上から下へパタンと落とすタイプの物であることが判ります。
え、どうでもいいですか!?
なんか、鉄道オタクの人の間では、そういうのが大事みたいですよ。
今回お話について調べる中で、『鉄道文学の旅』という本を見付けました。
鉄道オタクの方のサイトでも、『蜜柑』はよく取り上げられています。
芥川さんは結構、鉄道での話を書くので、
「鉄分がある」作家なんじゃないか、などと言われているようです。

 

そういえば、栃木にて、SLの「大樹(たいじゅ)」を見て来ましたので、写真を載せます。
東武線でSLを復元して走らせているんです。
このために、駅や制服をレトロっぽくリニューアルしたり、
乗務員が訓練を積んだりと、力を入れているようですね。
駅の中にパネル展示の部屋も併設されていて、じっくり読んできました。

 

 

カフェの中から、ガラス窓越しに、SLがターンをするのを見られるんです。

 

 

方向転換するのに、一度本線から脇にそれて、この場所を使うんですね。

 

 

360度回転するので、全方向から見られました。

 

 

乗務員さんが手を振ってくれます。
鉄道ファンもそうでない人も、みんな動画や写真を撮っています。

 

 

思いっきり飛び跳ねてアピールしたら、笑顔と目線と、強めのウェーブいただけました。
ありがたい。

 

 

印象としては、「意外に小さいんだな」って思いました。
もっと、物凄く大きい物を想像していました。

 

 

ただ、蒸気と汽笛の音の迫力は、すさまじいです。
かなり大きな音で、子どもによっては泣き出しちゃう子もいるほど。
遠くまで聞こえる音で、駅付近だと、街中にいても聞こえて来ました。
いやぁ、圧巻でした。
身体が振動するようなこの音を、効果音ではなく、
生で、間近で聞けると思っていませんでしたので、
歴史も感じるし、なんだか感傷的な、感動的な気持になりました。

 

旅先での、一瞬一瞬の出会い、大事です。
蜜柑が空に飛び散る的な! 印象的な出会い! あるといいですね!

 

キャスト日記:吉田素子『蜘蛛の糸に人はぶら下がれるのか』

 

今回、『蜘蛛の糸』を朗読してくれた、吉田素子さん。
ドラマ形式ではなく、初の単独、一発目でした。

吉田さんは、深みのあるいい声をしていて、
『竹の木戸』ではコミカルな役を演じましたが、
今回はしっとりした大人のナレーションと、
主人公カンダタのワイルドな演技と、
両方を披露してくれています。

そんな彼女に、『蜘蛛の糸』を読んだ感想を書いてよ、と頼みました。
すると彼女は、すごい笑顔で、
「書くよ、書くよ! いくらでも書くよ! 途中までなら!」
と、答えました。

例によって、感想は途中までです。
でも何故だろう、途中までなのに、文章力はあるんですよね。

ちなみに、この記事、吉田さんが、
書いている途中の状態で、共演者の戸塚くんに見せたところ、
「語彙力が無かったのかな、って思われそうですね」
と、言われていました。

感想文の、感想。

 

☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆

 

劇団ののファンの皆さんこんにちは。

 

 

(劇団ののファンも何か愛称を付けた方がいいですよね。
例えばアムラーとか、ハルキストみたいな。
何がいいですかね……
「ののリアン」とかどうですかね。
そういえば、ももいろクローバーのファンは、
「モノノフ」と呼ばれているそうで、
それにあやかって「モノののフ」とかもいいかもしれませんね)

 

さてそんなわけで「モノののフ」の皆さん!
「劇団ののと読む」企画、待望の第2弾ですよー!

 

 

今回は、芥川シリーズと銘打って、
前回と同じ長編の朗読劇1作品に加え、
短編も3作品お届けしますよー!
これは、お徳!!!(お得)

 

そして短編の配信第1回は、
「モノののフ」の皆さんも1度は聞いたことがあるだろう、
あの『蜘蛛の糸』です。

 

 

このお話、「モノののフ」の皆さんはどんなイメージを持っていますか?

 

『蜘蛛の糸』は、芥川さんが子供向けに書いたお話だそうです。
それもあって、読んだ後に教訓めいた感想が出てくる人が多いのではないでしょうか?
「悪いことばかりしていると、えらい目に遭いますよ」
「自分のことだけを考えていては、ダメですよ」
「どんなに悪いことしても、蜘蛛を助けておけばワンチャンありますよ」
などなど。

 

ちなみに幼い頃の私は、
「そもそも蜘蛛の糸って、人、ぶら下がれるの?」
という疑問が、読後の感想でした。

 

 

ただ、蜘蛛の糸は大変な強度を誇るという事実も、有名な話ですよね。
その強度は、なんと、鋼鉄の約5倍!!
弾性力も高く、引っ張ってもなかなか切れることはないのだそうです!!

 

そりゃあスパイダーマンも、
縦横無尽にビルの合間をひゅんひゅん飛び回れるわけですね。

 

☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆

 

はい、終わりです。
泣いても笑っても、また、次回。

 

でもほら、皆さん、教訓と豆知識を得たから、いいんじゃないでしょうか。
ね、モノののフの皆さん……。

 

知らなかった仏教

 

今日は、既に公開されている、芥川龍之介『蜘蛛の糸』について、
少しお話ししようと思います。

蜘蛛の糸

『蜘蛛の糸』……調べてみると、歌手の中島●嘉さんの歌のタイトルになっていたりして、
中島美●さんのトレードマークが蓮だったりして、
なんだかそれを意識したようなダークな表紙絵になってしまいました。

 

ところで、みなさん、蓮=ハスと、睡蓮=スイレンの違いって御存知でしたか?
わたしは知りませんでした。
極楽に咲いているのは、蓮。
モネが描いた有名な絵は、睡蓮。
睡蓮は、水面すぐに花が咲いていて、同じく水面に浮かぶ葉っぱに切れ目があります。
蓮は、茎が水上にスッと伸びていて、葉っぱに切れ目がありません。
なので、表紙の絵は、蓮です。

 

さて、実は、今回、『蜘蛛の糸』のテキストを配信するにあたり、
『竹の木戸』の時よりも、苦労がありました。
劇団ののメンバー、実は、日本人でありながら、
キリスト教系、且つ欧米文化の色濃い、学者の家庭で育った人が多いんです。
仏教の教えや慣習に、ほぼ馴染みがありません。
お盆、お葬式、史跡などで、文化的な知識として多少知っているのみ。
これは、まずい!
間違えたことを書いたら大変だ。
宗教は、間違えたらえらいことだ。
と、思って、ちょっと仏教について勉強してみました。

 

すると、なんということでしょう。
そもそも、芥川が間違えて書いていたっていうことが判ったんですね。
ちょっと〜、龍之介〜。

 

ということで。
どこが変なのかを書きます。

 

まず、このお話を読むと、ナチュラルに感じ取るのが、
我々人間界の上空、雲の上?……とにかく、天の上に極楽があって、
お釈迦様が池を覗き込むと、その下の方に、
地上の人間界を突き通して、更にその下に、地獄が見えてるのかな?
っていう位置関係ですよね。
お釈迦様が、カンダタが蜘蛛を助けたのを見ていたのも、
「おてんとうさまは、いつも、天の上から我々を見ている」
みたいな位置関係を感じました。

 

これ、我々はすっごくすんなり受け入れちゃって、納得しちゃうんですけど、
実は、もう既にここから間違いなんだそうです。

 

何故、我々はこの極楽と地獄の位置関係に違和感を感じないのか。
それは、恐らく、他の宗教の影響ではないかと考えています。
こんなイメージでしょうか。

 

 

まず、神道。
これは野田秀樹さんの作品を舞台で公演した際にも解説しましたが。
我々が住む人間界を「豊葦原(とよあしはら)」と言います。
そして、神々が住む天上の世界を「高天原(たかまがはら)」と言います。
読んで字のごとく、天に広がっているんですね。
昔はこの天から地上にわんさか神様が降りて来て地上で暮らしていた、
その頃のお話が、日本書紀とか古事記なわけです。
そして地下にあるのが、黄泉。
洞窟みたいな入口、「よもつひらさか」という坂から地底へ、
真っ暗で不気味な死者の世界に入って行きます。
特に「生前に善い行いをしたから死後は天上へ」というわけではないようです。

 

次にキリスト教です。
「天国」「地獄」は訳語なので正確には違う意味ですし、
教派によっても細かい定義は変わって来てしまうのですが。
基本的には、天国は天の上にあり、
祈りでも「天の父なる神様」などと言います。
地獄は、死後の世界に責め苦を負う場所、悪魔が住む場所として知られますが、
西洋絵画では、やはり地底や地下の暗い絵が多いです。
死ぬと「最後の審判」を受けて、
生前の罪に従って天国に行くか地獄に行くかが決まります。
当然、天国に行きたい! 地獄はイヤだ!
故に「生きてるうちに地上で徳を積みなさい」と、キリストは言うんですね。

 

じゃあ、仏教で言う、極楽と地獄って、一体なんなんだ!? と疑問が。

 

まず、わかりやすいので、地獄から。

 

皆さん、輪廻転生はご存知ですか。
わたしたちも、この言葉は知っていました。
ただ、やや意味を、はき違えておりました。
なんとなく、結構いい意味で使ってしまっていたんです。
「千の風になって」のイメージで。
「おばあちゃんは死んだけど、またお花とかになって生まれ変わる」みたいな。

 

輪廻転生っていうのは、本当は、
迷いがあるから、死んでもいつまでも生まれ変わっちゃうんだそうです。
6つの世界があって、生前の徳/罪によって振り分け先が決まると。
「これが現世で、これが死後の世界」「あの世、この世」
っていう切り分けもなく、1個1個が、一生一生、高橋一生。
「生き地獄だ〜」とか「この世の地獄だ〜」っていうのは、
まさに「馬から落馬する」「頭痛が痛い」みたいな話になっちゃうみたいです。
カンダタはつまり、人間界にいたんだけど、悪いことしすぎて、
次の生涯では地獄で生きることになった、っていうことです。

 

なので、地獄は6つの選択肢の1つであり、天地、上下は関係はありません。
地面の下にあるなんて、お釈迦様は言っていないらしいです。
概念的な世界だから。
もしあなたが演劇人で、先輩から、
「奈落っていうのは、舞台の下にあるから奈落なんだよ。
奈落っていうのは元々、地獄のことで、奈落は地下だろ?」
とうんちくを述べられたり、
「おい、早く奈落から箱馬取って来いよ!」
とか怒鳴られたりしたら、ドヤ顔で、
「先輩、奈落が舞台の下にあると思ったら大間違いですよ」
と、うんちく返ししてください。
先輩は修行と悟りが足りてません。

 

 

こうやって見ると、人間界って、結構いい所にあるみたいです。
今回あんまり関係無いですが、その上にあるのが、仏教の天国。
紛らわしいのですが、これはキリスト教の天国ではありません。
人間界よりも、怒りとか苦しみが無い世界だそうです。
ただ、悲しみだけはあるようです。

 

ちなみに、帝釈天、梵天、
また、最近イケメンだということで人気を博した阿修羅など、
仏教の守護神と言われている神様たちは、この六道の中に住んでいます。
この辺も、わたしたちが、
「え、ここお寺? 神社? 仏様がお寺で神様は神社でしょ?」
と、混乱する原因の1つかもしれません。
仏教以前の古代インドの宗教の神様と混じったりしている部分もあり、
ヒンドゥー教ともちょっと重なる部分があるそうです。

 

ところでわたしは、以前、上司に、
「生まれ変わっても魚類にだけはなりたくありません!」
と言ったら、
「暇なのかよ! とりあえず早く現世で仕事しなよ。
わたしは子どももいるし、あんたみたいな後輩もいるし、来世どろこじゃないよ」
と言われたんですけど、
わたしの考え方は、畜生界に行きたくないっていうことだから、正解です。
わたしは、仕事をさぼっていたわけではなく、
「あぁ〜、輪廻を抜け出すべく迷いを捨てたいなぁ〜」
っていう高尚な悩みを持っていたっていうことなんですよ。

 

じゃあ、どうやったら、この輪廻から抜け出せるのか。
輪廻の中でグルグルしてる限りは、
魚類になったり地獄に落ちたりするプレッシャーから抜け出せませんからね。

 

輪廻から抜け出すには、ずばり、仏教の修行をして、悟りを開く!
これしかないらしいです。
しかも、仏教をできるのは人間界に生まれた時だけだそうです。
たしかに、一度魚類になっちゃうと、お経とか読むのはちょっと厳しい。

 

修行を完遂して、悟りを全て開くと、仏=如来になって、六道から出られます。
だから、刑事ドラマで死んだ人を「仏様」などと呼んでいますが、
死んだだけだと転生するだけで、修行しないと仏にはなれないみたいです。

 

じゃあ、仏様がいて、守護神がいて、……観音様って……何?
という疑問が湧いて来ました。
これも、我々、よくわかっていませんでしたが、
観音様は、菩薩のうちの1人で、
菩薩というのは、かなり高度に悟りを開いた、仏に近い存在だそうです。
人間に対して、とても慈悲深い存在です。
観音様を女として描く習慣もありますが、そういうわけではないみたいです。
観音菩薩、普賢菩薩、弥勒菩薩などが有名です。
実は、お地蔵様も、あんな可愛い感じですけど、地蔵菩薩。
とってもとっても偉いんですよ。

 

 

では、極楽って何でしょう?
天国とどう違うのでしょう?

 

悟りを開いて仏になると、仏様は、自分の仏国土という国土をつくります。
これが、けがれや苦しみが存在しない「浄土」です。
六道の中の天上界と違って、苦しみも存在しません。
幸せと、楽しみだけ。

 

1如来に1浄土。
そして、仏様って、宇宙に星の数ほど存在しているみたいです。

 

ちなみに、地球が輩出したのは、お釈迦様ただ1人。
みんな、後に続け! って仏教の修行をしているんですね。

 

さて、お釈迦様が住んでるのは、実は無勝荘厳国という浄土です。
あれ!?
極楽浄土は!?

 

実は、極楽浄土は、阿弥陀如来という仏様の持っている浄土なんです。
阿弥陀如来は、全ての仏様の師に当たるお方。
お釈迦様が極楽浄土を自分の庭のようにウロウロしてるのは、おかしい、
っていうことが、わかります。

何してたんでしょうか。
遊びに来てたのかな。

 

つまりですね、落語に喩えますと、
立川談春さんとか、志らくさんとかが、自分の家建てたのに、
談志師匠の家の庭を自分の家だと思って、入り込んで遊んでる、みたいな。

 

……。

 

わかりづらいですね。
今の喩え、キャンセルします。

 

この物語は、元々、インドの『カルマ』の中の『The Spider Web』が原作で、
この和訳に影響され、芥川が更に児童向けに書き換えたものです。
インド哲学がテーマになっているのですが、我々日本人には馴染みが無く、
やはり、芥川が書いた世界観に、どうしても違和感が湧きません。
よく、「キリスト教が現地の土着の宗教と結びついて」などと言いますが、
こういうプロセスを経て、宗教宗派などが枝分かれして行くんだなぁと、
垣間見たような気がします。