西洋化の波?
一説には、『夢十夜』の後半は、明治時代から流入してきた西洋文化を無批判に受け入れて染まっていく日本の状況、人々の様子に対する嘆きや無力感を表しているととらえられています。
『第十夜』の中では、庄太郎はパナマハットをかぶっていますし、ステッキを持っています。豚が西洋化に染まる群衆を表しているのだとしたら……その鼻を丁寧にひとつひとつ打つのがまた「洋杖」なのも皮肉なことです。
夢十夜の正しい楽しみ方
さて、こんなひどいいい加減なコラムを最後まで読んでくださったみなさまに、1つ、有益で真面目なお話をさせてください。
以前、NHKの「100分de名著」でこの物語が特集されていたのですが。
夢を描いたこの作品の正しい楽しみ方というのは、平たく言うと「人それぞれでいい」ということを語っていらして、とても安心しました。わけの分からないものを、分かろうとしてもよい。分からないことを楽しんでもよい。「分からないな」と思ってそのままにするだけでもよい。みたいな感じです。(←適当なので、NHKさんのテキスト買ってちゃんと読んでください!)
だから、劇団のののように、色々調べたけど、もう全然分からないから、ツッコミを入れるだけでもいいんだ!
この作品を分かろうとしても、完璧に読み解くことは、永遠に不可能だということです。正解が無いのです。だって、漱石はもういないから。だって、夢だから。いろいろ解釈しても、全部、ほんとかどうか分かることは永久にない。
逆に言えば、ここまで後世の人に興味を持たせ、様々な議論や推測をさせる奥深さ、ヒダの多さが、『夢十夜』の一番のすごさ、面白さと言えるかもしれません。
もう、第一夜だけ読もうよ
「嗚呼、なんだよそれ!」というポイントしかない、『第十夜』でした。
お口直しに素敵な素敵な『第一夜』を読むことをオススメして、この記事を終わりにしたいと思います。
参考リンク
明治大学|いろは忠臣蔵
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