さて、劇団ののメンバーの田島裕人くんが、2019年末に放送されたNHKスペシャルドラマ「STRANGER 〜上海の芥川龍之介〜』について、7つのキーワードから様々に考察する、全3回の大型コラム企画!
今回で、第3回目、いよいよ最終回になります!(どれだけ書くねん!)
今回は、ドラマの世界を分解することで、どのように作り上げられているのかを考えていきましょう。
※以下、ドラマのネタバレ注意!
Topic 6:芥川の実体験と著作を融合したドラマ
このトピックでは、ドラマ「STRANGER」が、芥川の見聞記録である「上海游記」に、ドラマの脚本家が芥川の著作、つまりノンフィクションのお話を、どのように織り交ぜていったのかを考えてみます。
第2回のコラムの続きとなっているので、まだお読みでないかたは、ぜひご覧ください。
ドラマのモチーフとなった芥川のフィクション作品
では、前回お話しした「物語の仕組み」を大解剖する前に、芥川の著作「アグニの神」「湖南の扇」に触れておきましょう。仕組みを説明する前に、仕組みを作っている素材を紹介しておきます。
アグニの神
は、主人公の遠藤が、呪術師の老婆に監禁された少女を救出する話。少女が自力で抜け出す作戦を考えながら、呪術の結果老婆が死んで少女が助かる。
湖南の扇
は、美女の玉蘭が、処刑された愛人、土賊の男の血をしみこませた「人血ビスケット」を食べる、湖南の人の情熱的な側面を描いた作品。
芥川は中国をモチーフに多くの作品を書いています。中国への憧れが強かったと言われています。ドラマの中でも上海へ来た理由を「西遊記、水滸伝、三国志などが好きだから」と述べています。中国古典特有の混沌とした中にある大きなうねりのような物語を好んでいたようです。
今回の旅行の舞台である上海について書いている作品は、「アグニの神」「湖南の扇」の二作品です。「アグニの神」は上海旅行前、「湖南の扇」は旅行後に書いたものです。
旅行記にフィクションを織り交ぜた理由
さて、少し視点を変えてみたいと思います。
というのは、まず、脚本家の目線から、「STRANGER」というドラマの構築のしかたを考えていってみましょう。
やはり裏側を考えてこそ本質に迫れる、というのはある種真実だと思っていて、NHKの「プロフェッショナル」、TBSの「情熱大陸」、日テレの「アナザースカイ」も公(表)の場で活躍する人の私(裏)の部分を見せるところが魅力的な部分です。やっぱり表側を見た後の裏側には興奮します。
はい。
芥川の「上海游記」はあくまで旅行記です。記録なので、時系列順にあった出来事やその感想を書き連ねています。
確かに芥川は当代随一の作家で、その観察力の鋭利さは群を抜いていますが、旅行記はあくまで記録のための文章です。したがって、筋立てがないのです。
映像化する際、事実を順番に映像化していくのは、正直言うとあまり面白くありません。脚本家からしてみると、エピソードの展開の順序やフォーカスの当て方を調整する必要が出てきます。
芸人さんは1の面白さのエピソードを10に盛りながら話す、などと言われますが、ドラマというのはあくまで創作物なので同様の作業が必要になるわけです。
そこで、脚本家が融合させたのが、芥川の著作(フィクション)です。
3作品のキャラクターを統合して1つのドラマに
では、どうやって融合させたのか。実は、3作品に登場する人物たちをリンクさせることで、ひとつの物語として織り上げているのです。
リンクしているというと少し抽象的なので、以下の図で説明します。
まずはそれぞれの作品の主人公です。「アグニの神」においては、日本人、遠藤が主人公となっており、「上海游記」では芥川が筆者、「湖南の扇」においては芥川がモデルとなった「僕」が主人公です。これらの人物の果たす役割や人物像は、ドラマ「STRANGER」内では芥川龍之介(演・松田龍平さん)として統合されています。
同様の手法で、以下の図のように、各作品の登場人物たちが、ドラマ内では一人のキャラクターとしてまとめられています。
異なる作品同の中の設定が近い登場人物を同一人物として統合することにより、テレビドラマという時間や量的制約の多いメディアの中で、構成要素を整理することに成功しています。
特に、注目すべきは、以下の2人。
脚本家、すごい……!
玉蘭
「上海游記」に登場する洛娥(らくが)は、妓楼にいる遊女の一人としてしか描かれていませんでしたが、「薄幸の美女」という共通点から「湖南の扇」の玉蘭(ぎょくらん)と統合され、ドラマの中では時代に翻弄される悲哀を湛えた民衆の一人として、キーパーソンになっています。
林黛玉
また、「上海游記」に登場するベテラン芸妓の林黛玉(りんたいぎょく)には、「アグニの神」に登場する印度(インド)人の老婆が統合されており、ドラマの中では、芥川が出会う様々な中国の人たちとの交流をもたらし、また画面に迫力を与える重要な人物の一人です。
Topic 7:最大のキーパーソン ルールー
さて、ここで、ドラマの完全オリジナルキャラクター、ルールーに迫ってみましょう。
魅力的な人物ルールー
もしも、ドラマ「STRANGER」の中で、主人公以外で印象的な人物を一人挙げてくださいとアンケートを取ったら。
おそらく一位になるキャラクター、それは、ルールーでしょう。
ルールーは、芥川が宿泊した、林黛玉が営む妓楼(遊郭)に、玉蘭などの遊女たちとともに暮らす、男娼の少年です。
彼は、京劇役者のような顔立ちの青年。耳が聞こえず、声に出して言葉を話すことができません。繊細な表情のみの演技を見せます。読み書きができ、もともと出自は悪くはないが何かの事情があってここに身を寄せているのではないか、ということを感じさせます。
非常に魅力的なキャラクターであり、ルールーが登場する後半以降は、半分以上、彼の話と言っても過言ではありません。
漢詩に造詣の深い芥川は、とあるいきさつからルールーが文字を書けることに気付き、中国語の本や筆談を通じて気持ちを交流させるようになります。芥川は、彼に本を与え、読むように薦めます。これはある種、ルールーに思い入れを持った芥川からの、お節介な啓蒙(教育)であると言えます。しかし、その交流も長くは続かず。悲しいことに、ルールーは、若者たちが多く参加する労働運動の活動の集会に参加し、制圧に巻き込まれて亡くなってしまいました。芥川が次に会った時に渡そうとせっせと用意した本の束が、ルールーの手に渡ることはありませんでした。
ルールーが繋ぐ「アグニの神」の世界
芥川は妓楼にて、占いを受けます。林黛玉のもと、霊媒師のような役割をするルールー、ルールーの代わりにお告げを話す遊女。彼らにとって、この占いのような余興は、小遣い稼ぎの一部となっているようですね。占いを受けた芥川は、脳裏に焼き付いた秀しげ子の姿にうなされます。
ところで、この呪術のイメージは、「アグニの神」から来ていると推測されます。呪術を行うインド人の老婆が登場するのです。このお話のラストで、主人公の遠藤という男は、老婆が部屋に閉じ込めている日本人の少女を救い出そうと、主人公の遠藤が部屋に突入します。すると、そこには自分で自分の胸にナイフを突き立てた老婆の姿がありました。
このシーンにそっくりなシーンが、「STRANGER」にも出て来ます。芥川の見ている夢や幻覚のような位置付けのシーン。呪術を行う怪しい老婆の部屋に芥川が突入すると、そこにいたのは、少女ではなく、ルールーという設定になっていました。
これは、妓楼を営む林黛玉をインド人の老婆に、妓楼に置かれているルールーをとらわれた少女に、重ねているものと思われます。そして、突入シーンは、芥川の「ルールーを、現在置かれている社会的な環境から救出したい」という願望を、表しているのではないでしょうか。
芥川はルールーに本を与えます。また、「君は自由だ」と言い聞かせます。つまり、「君は読み書きができる。さらなる教養を身に付けることで、ここではないどこかへ行ける」というつもりで、ルールーに本を与えるのです。
しかしその結果的、この世を知り、考えることを覚えたルールーは、革命運動に参加し、体制側の暴力によって命を奪われてしまったのです。
「識字憂患(しきじゆうかん)」ということわざがあります。中国宋代の政治家であり文豪であった、蘇軾(そしょく)の言葉です。
学んで知識を得るということは、狭い世界から這い出して自由を得ることができるということ。と同時に、社会問題などに気付いてしまうと、憂いや苦悩が増し、違う意味で厳しい世界に身を投じるおそれを孕んでいる……
ということを、効果的に表したエピソードであると感じます。
無知でいる方が、楽であるとも言えます。
ルールーと玉蘭が繋ぐ「湖南の扇」の世界
「湖南の扇」のモチーフもまた、効果的にドラマに取り込まれています。
さて、ここで活躍するのが、玉蘭というキャラクター。ルールーに次ぐと言っても過言ではない、印象的な人物でしょう。
玉蘭は、ルールーと同じ妓楼に住む遊女。処刑された愛人の男の血をクッキーにしみこませて食べた、という悲しい過去を持つ設定になっており、これはまさに「湖南の扇」から着想を得たエピソードです。映像では、その高潔で悲しげな表情が強調されます。
さて、ルールーが運動に巻き込まれて亡くなったシーン。そこに玉蘭が現れ、血が流れた地面に、クッキーを落とします。スローモーションが多用され印象的に表現されています。
持ち帰られたクッキーが卓上に置かれます。ルールーを取り巻く人々が、涙を流しながらそれを分け合って食べます。
ちなみにこの人血クッキーという風習は、中国にあった人血饅頭という死人の血を饅頭に浸して食すと無病息災になるという民間信仰(迷信)をもとにしています。西洋医学的に効果はないため、魯迅「薬」などでは批判的に描写されますが、芥川は、死者を自分の中に取り込むという意味合いに着目し、中国人の情熱的な部分を表す風習として「湖南の扇」の中で描いています。
この時、日本人でである村田と芥川はやや遠巻きに見ていましたが、芥川は一歩進んでその輪に混じり、クッキーのかけらを口にすることで、ルールーへの葬いの意を見せます。
フラッシュとリフレイン
このように、別々の作品である「上海游記」「アグニの神」「湖南の扇」から切り取られた、上海の風景、人物たち、呪術のシーンや人血ビスケットのシーンは、ドラマの中で何度もフラッシュで挟まれ、繰り返されることにより、見るものに強い印象を残し、適度に撹乱させます。
そして、それらを、それぞれの作品の世界観を崩さずに一つの映像作品として繋ぎ止めていたのは、ドラマにしか登場しない架空のキャラクターたちだったのです。
脚本家の渡辺あやさん、すごすぎる……!
まとめ
さて、ここまでお読みいだきました。
ドラマを見る前にたまたま上海に行く機会があったので、様々な文化が混ざり合った雑多な雰囲気は、どこか受け継がれていることを感じたりしていました。
この文章には書くことができませんでしたが、映像の美しさ、日中両国から集まった俳優さんたちの演技の質の高さ、芥川の日本の政治や戦争に対してあくまで冷静に批判的な目線を向けている点など、まだまだ語り尽くせていない点はたくさんあります。
芥川という日本文学におけるスーパースターと、「眠れる獅子」と呼ばれながらも傾いていた中国、魅力的な登場人物ばかりのこの作品により、様々な芥川作品や彼自身の人生に触れることができました。
戦争に対しての批判的な視線や、政治の停滞により民衆の暮らしが困窮し、弱者から順番に傷つけられていく様子など、現代社会にも通じる重いテーマも扱っています。
この作品に向き合うことにより、歴史を学ぶ意味を再確認させてもらえたと思っています。
参考リンク
次回のコラムはこちらから↓
コラムの第1回はこちらから↓
劇団のので朗読した芥川龍之介の作品はこちらから↓
ドラマについてNHKのサイトはこちら↓
「上海游記」は青空文庫からも読めます↓
「アグニの神」は青空文庫からも読めます↓
「湖南の扇」は青空文庫からも読めます↓