国木田独歩「竹の木戸」|キャストコラム|Caori「人の心は変わらない」

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竹の木戸
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お源の役を演じた、女優Caoriさん。

今まで、幾度となく、シェイクスピア劇などの古典作品に向き合ってきました。

その彼女だからこそ、現代に生きるわたしたちと、作品の世界を、繋げてくれるように思います。

Caoriさんの書いてくれたコラム、ぜひ!

時代とツールが変わっても

先日、ちょっとお偉い方から、「現代で演劇やるなら、やっぱり今の人の心を反映した劇をやってほしいよね。今だったらLINEとかTwitterとか? 昔の人にはないツールを使うってことは、やっぱり心理描写も変わるでしょ」と言われ、私は、「一理ある」と思いながらも、すごく反発心が生まれてしまったのです。

なぜなら、ツールが変わったとしても、人の心はそんなに変わらないんじゃないかと思ったからです。

例えば、平安時代の女性が月を見ながら、いつ来るかわからない男性の訪問を待っている時と、送ったラインがいつまでも既読にならず、「一体いつになったら返事が返って来るんだろう」と悶々としている現代と……

一体、何が違うんだろう? と思ってしまったのです。

だから、「使う物や環境が異なっても、基本的な人の心理は変わらないんじゃないかと思う」ということを、生意気にも伝えてしまいました。

これは、現代ではない劇、古典や昭和・明治時代の作家が書いたお話を演劇にする時は、いつも考えるテーマです。

昔の人の気持ちに寄り添う

今回で言うと、「竹の木戸」は私たちが今生きている時代とは随分違っていて、私が演じるお源さんの家は、貧乏だから、たいそう寒くて、せんべい布団1枚を夫婦2人でシェアするような環境で眠っています。

私が住んでいる家はマンションだから、地面から底冷えすることもなければ、ベッドであったかい布団をかぶっていて、1人で眠っているからといって寝冷えもしません。

でも、寒くて寒くてとても惨めな気持ちや、明日のことが心配になる気持ちが全くわからないわけではなく。カーテンが薄いから、窓の隙間から風が入ってくると、しんと染みるほど寒くて、しょうがないから、ダンボールとガムテープでなんとなく隙間をふさいでみると、ちょっとしょんぼりする気持ちに。

寒さが続くとどんどん落ち込んできて、「そういえば明日ご飯を作るための肉がないんじゃないか」とか、「いや、でも、お肉って最近高いし、魚にしようかな」とか、「うーん、でも魚も値上がりしているし、いっそ大豆でハンバーグをつくらなくてはいけないんじゃないかな」とか。

そのうち、「来月の携帯代がものすごく高いんじゃないかと」心配になってきて、「ああ、そういえば、光熱費も高めかもしれない」と思うといてもたってもいられなくなったり。別に、今の自分がものすごく貧乏というわけではなく、普通なのだけれど、なんだかいらないことがどんどん心配になって、不安な気持ちになってきたりすることもあるのです。

隣の芝生は青いと分かってはいても、他の人たちと自分を比べて落ち込む日があったり、「あの人は自分と同じような年で同じような境遇なのに、頑張っているんだなあ」と感心してみたり。誰かの正しくない行いを見付けてしまった時、なんとなく表沙汰にするのが面倒で、見て見ぬふりをしてしまったり。

これはちょっとした一例ですが、「竹の木戸」の登場人物たちの感情のひとはしを、現代の自分も似たように感じることがあります。

生きる時代によって、人の感じる感情が全く同じとも思わないのですが(ちなみに、これは「君の名は」がヒットした理由をスマートフォンの流行になぞって書かれたネット上の文章を見て、はたと膝を打ったことに基づきます)少なくとも同じ瞬間はあるわけで、それはシェイクスピアでも、もっと昔のギリシャ悲劇でも言えると思います。

だから、あえて自分と登場人物を遠ざけないで、自分に近付けて考えてみたり、はたまた、わざと遠ざけてみたり。色々なアプローチで脚本に向き合えるのが、演劇の面白さだとも思います。

今回も、今とはちょっと違う時代と、違う環境のお話で、ともすれば「近寄りがたい」「なんだか、おかたそう、わかりづらそう」と言われることもありますが、全然そんなことはなくて、現代に生きる自分たちでも理解できる気持ちが散らばっています。

劇団のの「竹の木戸」お楽しみに★

参考リンク

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