すれちがう夫婦の悲しき会話

梅田拓くんの『縊死体』と、みんなの『注文の多い料理店』の収録をする裏で、戸塚くんが読む『雪女』について、話し合いました。

 

『竹の木戸』でも『注文の多い料理店』でもナレーターを務める戸塚くん。初の、単独作品です!
さすが声優!! 主人公の巳之吉と雪女の声を見事に演じ分けております!
そして声がいい。やっぱり声がいいぞ、戸塚くん。

 

 

男性の声で女性の役をやるのって大変なのかな? やっぱり違和感あるかな!? と思ってたけど、そうでもないんですね!
『縊死体』では梅田くんが殺された娘の声を演じているし、『夢十夜』では栗田ばねくんが謎の美女を演じてるし。
『雪女』の戸塚くんも、なかなかのものなんですよ。メンバーのもちこ、こと吉田素子さんは特に、この戸塚くんの雪女のセリフの部分を皆さんにオススメしたいと言って、絶賛していました。他の部分も薦めてあげてください!
3人とも同じように、ナレーションの時よりもマイクに近付いて、そっと囁き声で話すのが面白かったです。別に誰かが指示したわけではなく。高い声を出すというよりは、小さい声を出すイメージなんですね!
歌舞伎の女形みたいな、たおやかさというか、しとやかさというか。着物の、か細い、青白い女性が目に浮かぶ!! むしろ、劇団のの女性陣には出せない雰囲気かも……。

 

と、ここで、更に深めるため、Caoriのアネゴと素子のアネゴから、指導が入ります。

 

 

まず、巳之吉って、何歳!? っていうところから相談です。
初めて雪女に会った時は、18歳。でも、巳之吉が実際喋るのは、何年か経ったラストシーンから。その間の場面は全て、ナレーション処理なのです。このラストの時、何歳なんだ?
戸塚くんが悩んでいるのは、一人称が「ワシ」だからです。ワシって、おじいさんのイメージしかないけど、この時はメジャーだったんでしょうか。関西や四国の方で一人称ワシの地域もありますが。当時はどうだったんでしょうか?
そういえば、『竹の木戸』に出ていた中馬智広くんも、元気な10代の若者の役だったけど、「明治時代の口調に引っ張られて、おじいさんぽい演技になりそう」って悩んでいました。

 

ではここで、物語の中で何年経っているのか、見てみよう! ジャン。

 

 

最初に雪女に出会ったのが、18歳の時。
1年後、お雪という女と道端で出会い、ほどなく結婚。
結婚から5年後、お雪を嫁として気に入って喜んでいた巳之吉の母も、他界してしまう。
そこから数年後? のある時、例の事件勃発! お雪は雪女だとカミングアウトして、消えてしまう。
というわけで、絶対に6年以上は経っているから、巳之吉は24歳以上ということになります。

 

ただ、戸塚くんが指摘しているのは、子どもが多すぎる!! と。男女10人いるんですよね。
当時の農村だから、そのぐらいいて当たり前なんだけど、年子だとしても6年で10人はちょっと計算が合わないから、もうちょっと後かも、とのこと。
(吉田さんが提唱する「3つ子を2回+双子を2回。そういう遺伝体質なんだよ」説は無視することにします)
そして、雪女は再三「子どもたちを宜しく」という旨を言って消えるので、まだ養育費も掛かるお年頃なのでしょう。完全に育ち上がって年取った後というわけでもなさそう。

 

となると、最低24歳、大体30歳ぐらいまで? と、想定してみました。
うーん、「ワシ」かぁ……。
当時は寿命も短かったから、老け込むのも早かったのか。一般的な一人称だったのか。
あるいは、巳之吉は、千鳥の大悟さんなのかもしれない。ハイ! きっとそうなのでしょう。

 

そしていよいよ、クライマックスについて。臨場感を出すには、どうしたらいいのか。

 

 

ある夜、縫い者をしているお雪の傍に座って、巳之吉は雪女に出会った時のことを話し出します。
巳之吉は、「18歳の時、色白で綺麗な人を見たんだ。今のおまえにそっくりだよ」と言い出します。
お雪は目を上げずに、「話してちょうだい、どこで会ったの?」と尋ねます。
巳之吉はペラペラと、その時のことを話します。「恐ろしかった。その女は大変白かった。あれは夢だったのか雪女だったのか」と。
するとお雪は、縫い物を投げ捨て、巳之吉の上にかがみ込み、「それはわたしです。子どもたちがいなかったらあなたを殺すところだった。でもあなたは子どもたちを大事に育ててください。子どもたちに何かあったらただじゃおかないから」というようなことを言うと、白い霞になって消えてしまいます。

 

◆ノア「この、縫い物しながら、目を上げずに話聞いてるところが、ドラマっぽいよね。小道具が効いてるね」
◆もちこ「たしかに。料理しながらとか。パソコン打ちながら、とか。あるよね。後ろ姿だけ映すとか」
◆ノア「振り返らないけど、ふと手が止まる、的な」
◆もちこ「あるある(笑) 」
◆ノア「内心めっちゃ怒ってるけど、わざと猫なで声で返事しながら聞いてるわけね」
◆Caori「『ふ〜ん、それでそれで〜?』って感じね」

 

◆ノア「……お雪、めっちゃ怒るね、最後。なんでこんなに怒ってるんだっけ」
◆戸塚「いや、そこが話の根本でしょ! 他言するなって言ってあったのに、言っちゃったから怒るって話でしょ!」
◆Caori「誰にも言わないで、って約束したのに」
◆ノア「この人はさ、せっかく何年も黙ってたのに、なんでこんな感じでポロッと言っちゃったんだろう。うっかりすぎるよね」
◆戸塚「母親にすら言うな、っていう約束で、まぁ結局、母親には言ってないんですよ。途中で死んでるし」
◆もちこ「調子に乗ったんじゃん?」
◆ノア「油断したか」
◆もちこ「そうだね、完全に油断してるね、こいつは。気抜いちゃったんじゃん?」

 

◆ノア「もう時効だな、と思ったのかな。いい奥さんと可愛い子どもたちに囲まれて幸せに暮らしてて、年も取って、怖いもんなしになってたのか」
◆もちこ「まぁ、そんぐらいお雪に気を許してたんだろうけどさ。お雪なら大丈夫かな、っていう」
◆ノア「信頼して話してくれたことに、喜ばないのか、お雪は」
◆Caori「信頼して話してくれたっていうより、やっぱ油断してる感じの口調な気がするんだよね。軽々しく喋るから、雪女としては腹立つじゃん?」
◆戸塚「お雪、消えなくちゃいけなくるから。巳之吉に喋られちゃったら」

 

◆ノア「その縛りね、ルールね……自分で縛ったのに」
◆戸塚「お雪? 雪女? 自体が縛ったっていうより、妖怪のルールっていうかさ。そうなってるもんなんじゃないかな」
◆もちこ「この世界の中の常識ね、掟的な」
◆戸塚「そうそう、本人の意志だけでどうにかコントロールできることじゃない、妖怪界がそうなてって、人間界に行くには条件付きで、やっぱそのある程度の制限があって、それが破られたら戻らなきゃいけないっていう」
◆もちこ「そういうのあるよね、他にもそういう話」
◆ノア「鶴の恩返しとか。人魚姫? じゃあ、巳之吉め、おまえのせいで離れなきゃいけなくなったぞ!? っていう怒りか」

 

◆もちこ「いや、でも、そのわりにさぁ、お雪も煽るんだよな。巳之吉が話し始めたら、その人どこで会ったの? とか自分で訊いちゃうんだね、っていう」
◆ノア「自ら誘発してるぞ」
◆もちこ「そうなのよ! 『ちょいちょ〜い、その話はしない方がいいんじゃない?』っていう助け船をさ、出せばいいじゃないのよ」
◆Caori「そこでさ、巳之吉自身が『あ、やばいやばい!』って自分で気付いて踏みとどまるのを、期待してたのかも」
◆もちこ「なんだよ、めんどくさいな」
◆Caori「女心だよ」
◆ノア「そして察しなかったか、女心を」
◆もちこ「無理だよ、この男には」

 

 

◆Caori「あとさ、他の女のこと綺麗って言われたらカチンと来ない?」
◆戸塚「まぁ、同一人物なんだけどね、お雪と雪女。他の女かどうかって言われると微妙なところ」
◆ノア「まぁね、美しいって言われてる本人だからね、複雑だね」
◆もちこ「わたしなら普通に喜びそう。むしろ自分から『なぁなぁ、あれ、わたしやったんやで?』って言いたくなるわ」
◆戸塚「それは、自分からバラして自滅することになるけど、いいんですか」
◆もちこ「あ、そっか、やっぱ言わない(笑) 聞きながら、にやにやして、内心『ク〜ッ』ってなると思う」

 

◆ノア「お雪は、自慢してるわけではないけど、最後、消える前に3回も『それ、わたしなんたで?』って叫んでるよ。『それは私、私、私でした。それは雪でした』だって。ねぇ、3回って凄くない? 英語だと違和感ないのかな」
◆もちこ「あぁ、それはあるかもね」
◆ノア「Me! Me! っていう叫び」
◆Caori「日本より感情表現が激しい、みたいな」
◆ノア「激しいよね、ここだけ急に。『私、私、私でした』って選挙カーみたいじゃない? 『私、私、私でございます』みたいな」
◆Caori「何回も強調するのも、自己主張じゃないかな、って思って。これはさぁ、お雪からしたら、いくら綺麗って言われてもやっぱり嬉しくないよ。だって、巳之吉が雪女をお雪と違う女だと思って褒めてる限りは、やっぱり自分と比べて他の女が褒められてるっていうことになるわけじゃん?」
◆もちこ「あ〜、なるほどな。自分であって自分じゃないのね?」
◆Caori「そうそう、巳之吉が誰のことだと思ってほめてるかが重要。だから、自分の存在を訴えてるんだろうな、っていう感じがする」

 

 

◆ノア「なんか混乱してきたな。複雑だね。この人は、この妖怪は? 雪女として約束を破られた悲しみと、お雪として他の女の話をされた悲しみと、2つ混ざってるっていうことか」
◆Caori「そういうことそういうこと。1人の中にどっちの面もあって、どっちの人格? としても悲しいし、怒るってこと」
◆もちこ「妖怪格ね、妖怪格」

 

◆もちこ「要はさ、巳之吉が黙ってりゃ良かったんじゃないの?」
◆戸塚「うん、何度も言うけど、そういう教訓の話だからね、喋るなって言われたことを喋っちゃいけない、っていう話だから」
◆Caori「約束破るとこうなりますよ、的な話ね。昔話って大体そうなってるよね」
◆ノア「生活の知恵を授けるためのお話多いよね。森に入るとオオカミに食われますよ、とか。これは何? やっぱり自然の猛威?」
◆戸塚「うーん、そうかな、多分。吹雪とか、凍死とか。これ一応、武蔵の国って言ってるから、関東の話なんですよね、雪国じゃなくて」
◆Caori「地球温暖化する前だしさ、もっと寒さとか厳しかっただろうね、関東も」

 

◆ノア「巳之吉って、そんなに悪いことしてるわけじゃないよね? 仲良く夫婦生活送ってるし」
◆もちこ「そうなんだよなぁ。我々はさぁ、『竹の木戸』の磯吉とか、『秋』の俊吉を知ってしまってるからさぁ。巳之吉は比べたらもう、全く悪くないよ、いいヤツだよむしろ」
◆Caori「みんな吉が付くね」

 

◆戸塚「読み方としては、どうしたらいいんだろう?」
◆ノア「トータルとして考えると、巳之吉が安穏としてる方がいいんじゃない? やっぱり」
◆戸塚「あ、なるほど、そっちか……」
◆ノア「お雪は、わざと促したり怒ったりしてるけど、何にも気付かずペラペラ喋るのんきな巳之吉、っていう感じで。安心しきってる感じ」
◆Caori「その方が、お雪の怒りが倍増されそうだし。幸せな結婚生活から、それが終わるっていう対比も出そう」
◆ノア「これ、最後、巳之吉、なんでお雪が消えたのか理解できなくて、呆然としちゃいそうだね、このテンポだと。しばらくしてから気付きそう」
◆もちこ「ね。巳之吉側からしたら、結構、助走なく急に怒り出した感じするから、わぁぁってなるよね」

 

◆もちこ「悲しいな、最後、消えてくとこ、凄い綺麗だよね、文章。ここ感動しちゃうんだよな。白い霞になってキラキラキラ! って消えてく感じ。映像で思い浮かべちゃうよね」
◆戸塚「これ、サジ加減が難しくて。急に怒り出して、結構喋るけど、叫んでる途中で声が弱々しくなってくるって書いてあるから。どこから変えればいいのかな」
◆もちこ「弱々しいって、声の大きさのことじゃない?」
◆Caori「最後の最後まで結構しっかり怒ってるもんね、セリフ的には」
◆戸塚「そう。口調っていうより声の大きさとか、聞こえ方として弱くなるんだろうけど」
◆もちこ「普通に怒って読んでいいんじゃない? 編集だよ編集。あとは編集する人にドンと任せよう。好きに読もう」
◆Caori「そうだ、編集だよ編集」
◆もちこ「綺麗に読んで。とにかく綺麗に。そして悲しく」

◆Caori「そして儚く」
◆戸塚「難しいな……」
◆もちこ「大丈夫、君ならできるよ(適当)」

 

ところで、ふと横を向いて、真面目に戸塚を指導するかおりんを見たら、宗教画みたいになってましたので、ごらんください。
ロマネスク様式のキリスト教絵画にも見え、曼荼羅のようにも見える。つまり、ありがたさのハイブリットです。

 

容赦ない「ハイ!」

さて、午前中、芥川龍之介の短編作品の収録が済んだ後、
みんなでワイワイ、『秋』の稽古をしました。
国木田独歩『竹の木戸』に続く、ドラマ形式の作品です。
雪の中、集まってくれました。

 

いい季節ですね、暖かい日もあれば、寒い日もある。
椿の花が素敵です。
竹久夢二の絵のようですね。
大正ロマンの『秋』の作品にピッタリ。

 

そしてこちらも素敵。
おひなさまがまだ飾られていました。
立派な段のおひなさま。
これは、もはやアンティークの領域。

演出が、移動する度に、何度も供え物のお椀や菱餅をひっくり返すので、
何度も直すのが大変です。
直しているところの写真を撮っていたら、
吉田さんに「反省と学習をしろ」と怒られました。
しています。

 

テキストを、役ごとにではなく、
輪になって座って、時計回りに順番に読みました。

うめちゃん(梅田拓)が「ハイ!」と言ったところまで、読みます。
彼の裁量次第で、長く読まされたり、短く終わったりします。
「え、そこで?」と思うところで「ハイ!」と言われることもあります。
ボーッとしていて、「え、どこ?」と言っていると、「ハイ!」が飛んで来ます。
噛むと、もちろん、容赦なく「ハイ!」と締め切られます。
演出は、3文字ぐらい読んで噛んだので、次に回されました。

 

持参のICレコーダーで自分の声を録音する戸塚くん。
復習するためだそうです。
真面目です。

 

Caoriさん、『竹の木戸』で明治時代の女性、お源を演じ、
今回は大正時代の女性、信子を演じます。
貧しい生活をし、育ちがそれほど良くなく、言葉使いも悪いお源に比べ、
同じ東京で暮らしていても、女学校に通い、良い生活をする信子。

でも、Caoriさんが演じると、何故か共通点が見えて来ます。
漂う色気や儚さなど。
って言いながら、お菓子食べてる写真ですみません。
大正ロマンなCaoriさんをお楽しみに。

 

と言いながら、今回、キャストさんに送ったメールで、
完全にキャストを逆にお知らせしていたため、
稽古場で混乱が起きました。

夫役: ○梅田拓 ×戸塚駿介
俊吉役: ○戸塚駿介 ×梅田拓
信子役: ○Caori ×スズキヨシコ
照子役: ○スズキヨシコ ×Caori

みんな、台本への書き込みを直していました。
凄いですね、人間って、こうも間違えるもんなんですね。
最低な演出ですね。

 

今回はナレーターで長い文章を読む、吉田さん。
初日から、嫌がっています。

残念ながら、ナレーターは間違えではなかったです。
ナレーターはナレーターです。

 

前回ナレーターだった戸塚くんは、今回キャストです。
女性2人に取り合われる、魅惑の男の役です。
イケメンボイスをお楽しみに!

 

今回、長い長いセリフがあり、緊張気味のよっこ(スズキヨシコ)です。

信子の妹、照子の役です。

 

みんなで、作品や、わからない単語について話しました。
Caoriさんが疑問を持ったのは、
「キリスト教の匂いのする女子大学趣味の人生観」という言葉。
特に、大正時代には、学生や作家を初めとし、色々な思想が流行りましたから、
トルストイズム、社会主義、キリスト教などの考え方が出て来ます。
作品に登場する人物は、文学を学んだり仕事にしたりしているので、
活発に思想を議論し合っています。
それを理解するのが、ちょっと大変です。
これもやがてブログや解説で説明していこうと思います!

 

梅ちゃんが気になったのは、
信子がぼんやり考えごとをしている時、
昼に食べた魚の生臭さが口から消えない、という表現です。

「僕わかる、これ。
 こういうことあるもの。
 ここの一部分、好きだなぁ」
と、お気に入りの様子。

 

今後、4人の登場人物の人間関係を、どう読んでいくのか、
とても楽しみです。
あ、ナレーターの活躍も楽しみですね。

 

キャスト日記:Caori『人の心は変わらない』

 

お源の役を演じた、女優Caoriさん。
今まで、幾度となく、シェイクスピア劇などの古典作品に向き合ってきました。
その彼女だからこそ、
現代に生きるわたしたちと、作品の世界を、繋げてくれるように思います。

 

☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆ 。*・☆

 

先日、ちょっとお偉い方から、「現代で演劇やるなら、やっぱり今の人の心を反映した劇をやってほしいよね。今だったらLINEとかTwitterとか? 昔の人にはないツールを使うってことは、やっぱり心理描写も変わるでしょ」と言われ、私は、「一理ある」と思いながらも、すごく反発心が生まれてしまったのです。

なぜなら、ツールが変わったとしても、人の心はそんなに変わらないんじゃないかと思ったからです。

 

 

例えば、平安時代の女性が月を見ながら、いつ来るかわからない男性の訪問を待っている時と、送ったラインがいつまでも既読にならず、「一体いつになったら返事が返って来るんだろう」と悶々としている現代と……一体、何が違うんだろうと思ってしまったのです。

だから、「使う物や環境が異なっても、基本的な人の心理は変わらないんじゃないかと思う」ということを、生意気にも伝えてしまいました。

 

これは、現代ではない劇、古典や昭和・明治時代の作家が書いたお話を演劇にする時は、いつも考えるテーマです。

 

 

今回で言うと、「竹の木戸」は私たちが今生きている時代とは随分違っていて、私が演じるお源さんの家は、貧乏だから、たいそう寒くて、せんべい布団1枚を夫婦2人でシェアするような環境で眠っています。

私が住んでいる家はマンションだから、地面から底冷えすることもなければ、ベッドであったかい布団をかぶっていて、1人で眠っているからといって寝冷えもしません。

でも、寒くて寒くてとても惨めな気持ちや、明日のことが心配になる気持ちが、全くわからないわけではなく。カーテンが薄いから、窓の隙間から風が入ってくると、しんと染みるほど寒くて、しょうがないから、ダンボールとガムテープでなんとなく隙間をふさいでみると、ちょっと、しょんぼりする気持ちに。

寒さが続くと、どんどん落ち込んできて、「そういえば明日ご飯を作るための肉がないんじゃないか」とか、
「いや、でも、お肉って最近高いし、魚にしようかな」とか、「うーん、でも魚も値上がりしているし、いっそ大豆でハンバーグをつくらなくてはいけないんじゃないかな」とか。

そのうち、「来月の携帯代がものすごく高いんじゃないかと」心配になってきて、「ああ、そういえば、光熱費も高めかもしれない」と思うと、いてもたってもいられなくなったり。別に、今の自分がものすごく貧乏というわけではなく、普通なのだけれど、なんだかいらないことがどんどん心配になって、不安な気持ちになってきたりすることもあるのです。

 

 

隣の芝生は青いと分かってはいても、他の人たちと自分を比べて落ち込む日があったり、「あの人は自分と同じような年で同じような境遇なのに、頑張っているんだなあ」と感心してみたり。誰かの正しくない行いを見付けてしまった時、なんとなく表沙汰にするのが面倒で、見て見ぬふりをしてしまったり。

これはちょっとした一例ですが、「竹の木戸」の登場人物たちの感情のひとはしを、現代の自分も似たように感じることがあります。

 

 

生きる時代によって、人の感じる感情が全く同じとも思わないのですが(ちなみに、これは「君の名は」がヒットした理由をスマートフォンの流行になぞって書かれたネット上の文章を見て、はたと膝を打ったことに基づきます)少なくとも同じ瞬間はあるわけで、それはシェイクスピアでも、もっと昔のギリシャ悲劇でも言えると思います。

だから、あえて自分と登場人物を遠ざけないで、自分に近付けて考えてみたり、はたまた、わざと遠ざけてみたり。色々なアプローチで脚本に向き合えるのが、演劇の面白さだとも思います。

 

 

今回も、今とはちょっと違う時代と、違う環境のお話で、ともすれば「近寄りがたい」「なんだか、おかたそう、わかりづらそう」と言われることもありますが、全然そんなことはなくて、現代に生きる自分たちでも理解できる気持ちが散らばっています。

 

劇団のの「竹の木戸」お楽しみに★