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パニックのお源
さて、少し時間が遡ります。(ちなみに、物語全体の中で、時間が前後する描写は、ここ1箇所だけです)
お源が真蔵に目撃されたすぐ後のことです。
お源は、自分の家に戻っていました。
真蔵が見下ろして来たのは、ちょうど、炭を1つ着物の袖に隠し、もう1つを前掛けの下に包んで左手で押さえ、もう1つ右手で取ろうとしたところでした。合計3つ、盗もうとしていたようです。着物は袖の下の部分が袋状になっていて、ここにお金を入れる人もいました。
お源は、「多分うまくごまかせただろう」「真蔵は善人だから、疑ったりしないだろう」と考えました。
でも、なんだか大庭家の庭に水汲みに行く気分にはなれません。
そこで、布団を被って寝てしまいました。横にはなっていますが、眠っている訳ではありません。磯吉がいれば、磯吉の体温でまだマシですが、古くて硬い布団では、つっぱって体にしっかり掛からず、寒すぎて震えてしまいます。
貧乏するのには慣れていますが、泥棒するのには慣れていません。
見付かったらどうしようという恐れもあるし、恥ずかしい気持もあります。今日の出来事が目の前に浮かんで来て、顔から火が出るような気分です。
「ああ、どうしたっていうんだろう」
「あの旦那は、お人好しだからバレないだろう」
「人がいいなんてのろまだ。大のろまだ!」
「フン、盗んだことなんてわかるわけがない」
と、感情はブレブレ。パニックで、ほぼ逆ギレです。悪いことがあった後は、次から次に、余計に悪い考えが浮かぶものですし、なかなか気持を切り替えられませんよね。
磯吉の一念発起?
気付けば月が出ていますが、お源は起き上がれません。
ランプも火鉢も点けていないので、部屋は真っ暗なままです。
お源が小さく丸くなって入っている布団は、ちょっと見ただけでは、本当に人が入っているとは思えないぐらいです。
植木屋夫婦の家は、とっても寒いんですね。それなのに炭が無い……これはピンチです。
そこに、仕事が終わった磯吉が、いつものように帰って来ました。
お源は、「頭が痛い」と言って寝ています。本当のことは言えませんから。
磯吉は、別に驚くこともなく、怒ることもなく。
相変わらず、リアクションの薄い男です。
磯吉は、自分でランプを付け、火鉢に炭を足し、水を汲みに行きます。
磯吉は、煙草を吹かしながら「どう痛むんだ」と尋ねます。
が、布団は丸い山になったまま、返事がありません。
磯吉は黙ってしまいました。
お源は、シクシク泣き出しました。
でも、磯吉はバリバリと沢庵を噛んでいるので、全然聞こえません。
やがて、磯吉がごはんを食べ終わってまた煙草を吸います。煙草と言っても、煙管(キセル)というパイプです。燃えカスの灰を落とすために、火鉢にコンコンと煙管を当てます。
お源は、やっと布団から起き上がって泣き始めました。
磯吉は一応「どうしたんだ」と聞きますが、別にそんなに驚いているというわけでもありません。
お源は、「もう本当にいやになった」と訴えます。
「3年間、2人で一緒に暮らして来ましたが、毎日毎日貧しくて、1日も余裕のあった日はない」「食べて生きているだけなら誰だってする、それじゃ情けない」「何故、たった2人の家計なのに苦しいのか」「どうしてまともな家に住まないのか」
磯吉は、暫く黙って聞いていましたが、「貧乏が好きな者はないよ」とだけ答えます。あんまり、答えになっていませんね。
お源は、続けます。
磯吉も貧乏がイヤだと言うのなら、何故、仕事を休んでばかりなのか。磯吉は、お酒を飲んだりギャンブルをしたりしないんだから、まともに仕事さえすれば家計が苦しいはずはないのです。
磯吉は黙って火鉢の灰を見つめています。
お源は、またいっぱいいっぱいになって、布団に泣き崩れます。
磯吉は急に立ち上がり、玄関に降りると、草履を履いて外に出て行ってしまいました。
お源との気まずい空気から逃げ出したくなったのか、考えがあって出掛けたのか、やっぱり磯吉は何を考えているのかよく解りません。
磯吉は、寒い寒い夜の道をテクテクと歩いて行き、金次という友人の家に行きました。10時まで金次と将棋をさして遊びます。まったく……何をしているんだか。
磯吉は、帰り掛けに、1円貸してほしいと頼みました(1円は当時では大金です) 最初から、これが目的で来ていたのですね。金次もお金を持っていなかったので、断られてしまいました。
磯吉まさかの犯行
帰り道に、炭屋の前を通りました。大庭家もお源も、ここで炭を買っています。
郊外は早い時間に閉店しますから、周囲も静まりかえっていました。
磯吉は、お店の前を暫くうろうろしていましたが、店先に置いてあった炭俵をひょいと肩に載せると、たんぼ道に入って行ってしまいました。
炭を盗んでしまったのです。
磯吉は、大急ぎで家に帰ると、俵を床に置き、お源のいる布団に潜り込みました。
お源は、どしり、という音が聞こえて目を覚ましました。泣き疲れて眠っていたのです。何の音か気にせず、また眠ってしまいました……。
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