キャスト日記:吉田素子『私は松田龍平、23歳の女の子』

 

「竹の木戸」にて、1番やばい役を演じ、フリートークにも出演してくれた、
女優・吉田素子さんです。

彼女の、大好評(?)途中で終わっちゃうブログシリーズ第2弾です。
「話が盛り上がってきたところで力尽きる」という斬新なスタイルでお送りしております。

今回の記事は、本人曰く「ちょっと砕けたバージョン」だそうですが、
前回の記事に、特に「お堅い」要素を感じませんでしたので、
どっちもバッキバキに砕けているということで、
お気軽にお読みください!
そして、続きを想像して悶々としてください。

 

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こんにちは。この度お徳を演じました、吉田素子と申します。

今までで1番言われた、似ている有名人は松田龍平です。

 

 

松田龍平さんといえば、先頃、離婚を発表されましたよね。ドラマ『カルテット』の最中にもその危機が噂されていましたが、なるほど……と、まるで自分のことのように他人の松田龍平さんのことを思ってしまいました。

 

ドラマ『カルテット』では高橋一生さんが好きでした。

高橋一生さんは、2017年の顔と言ってもいいくらい大ブレイクしましたよね。その甘いルックスと時々見せるくしゃっとした笑顔に魅了される女性が多いようですが、なんと言っても彼の魅力はその「声」だと思います。初めて彼の声を聴いた時は、その深い響きと包み込むような優しさに私の心は鷲掴みにされました。

 

そんなわけで、「声」。

そう、「声」は大事なんですよ。(ようやく持ってきた感)

 

 

今回の企画は、朗読劇『竹の木戸』です。

朗読劇というのは、ご存知のように、「声」だけで物語の情景、所作、心情、温度、云々をお伝えするものでございます。

それのまぁ難しいことっ(@д@)

 

私の演じた、大庭家のお女中さんである「お徳」は、勝ち気で、自分の思うように物事を進めないと気が済まない、1度「こうっ」と思ったらどんな手を使ってでもその目標を達成する、少々()嫌味で、とてもお茶目な23歳の女の子です。

 

 

この「嫌味な女」と「23歳の女の子」という、一見、相反していそうな2つの要素に、今回は悩まされました。

まず「嫌味な女」。これだけを表現しようとすると、どうしてもセリフ全体を大きく抑揚づけて、ネチっこく、うねらせながら話すことになります。

そして「23歳の女の子」。あくまで一般的なイメージで言えば、高くハリがあり、まだ若さのある元気な声になります。

どちらもあくまで私個人の考えですのであしからず。

 

表情と所作、もしくは衣装メイクなど、視覚的情報を封じられている以上、なるべくオーバーに吹き込んでいかねばなりません。

 

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はい、終わったーっ!

終わりです。

 

キャスト日記:吉田素子『家政婦がキター!』

 

大好評、女中のお徳を演じた女優、吉田素子さん。
彼女が書いてくれた、なんと! 途中までしか書いてないブログ記事です!!!

どうして、途中までなのか。
謎めいていますねぇ。
斬新ですねぇ。
理由はなんでもですね……途中で力尽きたんだそうで!

奥が深い!
深すぎる!
というわけで、皆様には、途中まで読んで、
続きを想像して悶々としていただきたいと思います。

 

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劇団のののブログをご覧の皆様、こんにちは。
この度朗読劇『竹の木戸』にて女中・お徳役を務めました吉田素子です。

 

 

今回「劇団のので朗読劇やるよー」とお誘い頂いて、
二つ返事で参加を表明しました(笑)

昔は声優さんになるのが将来の夢だった私。
その夢は残念ながら諦めてしまいましたが、
「声だけで演じる」朗読劇に興味が湧き、
ぜひ、やらせて欲しいと思ったからです。

 

どんな声色で演じようかな。
イントネーションはどうしようかな。
声の高さはどうやって変えていこうかな。
1人で考えてるだけでもワクワクするのですが、
それをみんなで読み合わせて一緒に作り上げていくのも、
とても楽しかったです。

 

そして稽古が進むにつれて、
これは「声だけで演じる」というより、
「音だけで舞台をつくる」と言った方が正しいなと思い始めました。

今回は劇場でお客様に作品を観てもらうのではなく、
録音した作品をお客様に聴いてもらいます。
当たり前ですが、
舞台装置や照明、華やかな衣装に役者の表情、身体表現は、
一切ここに持ち込めません。

それは大きな制約のように感じ、とても難しいことだと思いました。

私たちの声を含めた「音」だけで、果たしてこの世界が伝わるのか。

 

 

稽古中、私たちは様々な明治時代の「音」を聴きました。
(活気溢れる商人さんの声。鐘の音。)

実際に竹林を歩いて、竹の葉のカサカサ鳴る音も聴きました。
(スズキ家に感謝)

そして、録音する際に現代の音にも気を配りました。

飛行機の飛ぶ音(ぐぉーーん)
車が走る音(ぶぉーん)
暖房機器の音(ぶーん)
ポテトチップスを食べる音(パリポリサクサクボリバリ)

現代にしかない音は極力排除しないと、
「竹の木戸」の世界にお客様を誘うことはできないですからね。

 

ん?

そうか、なるほど…

制約があると思っていた「音だけの舞台」は、
実はその時代の音を入れることで、
すぐにでもタイムスリップ出来てしまうのか“〆(゜_゜*)

 

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「Σいや、ここで終わりかい!」
と、つっこんだそこのあなた。
ずっこけたそこのあなた。

終わりです。

本当に、ここで記事は終わっていました。
「続きはWebで!」じゃないんです、ここがWebですもの。
内容が面白いだけに、続きが気になりますが。

お徳はきっと、これを書いている最中に、ご隠居様に呼ばれて、
ネズミ退治とか、布団叩きとか、梅干し作りとかしているのでしょう。
微笑ましいですね。

 

キャスト日記:Caori『人の心は変わらない』

 

お源の役を演じた、女優Caoriさん。
今まで、幾度となく、シェイクスピア劇などの古典作品に向き合ってきました。
その彼女だからこそ、
現代に生きるわたしたちと、作品の世界を、繋げてくれるように思います。

 

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先日、ちょっとお偉い方から、「現代で演劇やるなら、やっぱり今の人の心を反映した劇をやってほしいよね。今だったらLINEとかTwitterとか? 昔の人にはないツールを使うってことは、やっぱり心理描写も変わるでしょ」と言われ、私は、「一理ある」と思いながらも、すごく反発心が生まれてしまったのです。

なぜなら、ツールが変わったとしても、人の心はそんなに変わらないんじゃないかと思ったからです。

 

 

例えば、平安時代の女性が月を見ながら、いつ来るかわからない男性の訪問を待っている時と、送ったラインがいつまでも既読にならず、「一体いつになったら返事が返って来るんだろう」と悶々としている現代と……一体、何が違うんだろうと思ってしまったのです。

だから、「使う物や環境が異なっても、基本的な人の心理は変わらないんじゃないかと思う」ということを、生意気にも伝えてしまいました。

 

これは、現代ではない劇、古典や昭和・明治時代の作家が書いたお話を演劇にする時は、いつも考えるテーマです。

 

 

今回で言うと、「竹の木戸」は私たちが今生きている時代とは随分違っていて、私が演じるお源さんの家は、貧乏だから、たいそう寒くて、せんべい布団1枚を夫婦2人でシェアするような環境で眠っています。

私が住んでいる家はマンションだから、地面から底冷えすることもなければ、ベッドであったかい布団をかぶっていて、1人で眠っているからといって寝冷えもしません。

でも、寒くて寒くてとても惨めな気持ちや、明日のことが心配になる気持ちが、全くわからないわけではなく。カーテンが薄いから、窓の隙間から風が入ってくると、しんと染みるほど寒くて、しょうがないから、ダンボールとガムテープでなんとなく隙間をふさいでみると、ちょっと、しょんぼりする気持ちに。

寒さが続くと、どんどん落ち込んできて、「そういえば明日ご飯を作るための肉がないんじゃないか」とか、
「いや、でも、お肉って最近高いし、魚にしようかな」とか、「うーん、でも魚も値上がりしているし、いっそ大豆でハンバーグをつくらなくてはいけないんじゃないかな」とか。

そのうち、「来月の携帯代がものすごく高いんじゃないかと」心配になってきて、「ああ、そういえば、光熱費も高めかもしれない」と思うと、いてもたってもいられなくなったり。別に、今の自分がものすごく貧乏というわけではなく、普通なのだけれど、なんだかいらないことがどんどん心配になって、不安な気持ちになってきたりすることもあるのです。

 

 

隣の芝生は青いと分かってはいても、他の人たちと自分を比べて落ち込む日があったり、「あの人は自分と同じような年で同じような境遇なのに、頑張っているんだなあ」と感心してみたり。誰かの正しくない行いを見付けてしまった時、なんとなく表沙汰にするのが面倒で、見て見ぬふりをしてしまったり。

これはちょっとした一例ですが、「竹の木戸」の登場人物たちの感情のひとはしを、現代の自分も似たように感じることがあります。

 

 

生きる時代によって、人の感じる感情が全く同じとも思わないのですが(ちなみに、これは「君の名は」がヒットした理由をスマートフォンの流行になぞって書かれたネット上の文章を見て、はたと膝を打ったことに基づきます)少なくとも同じ瞬間はあるわけで、それはシェイクスピアでも、もっと昔のギリシャ悲劇でも言えると思います。

だから、あえて自分と登場人物を遠ざけないで、自分に近付けて考えてみたり、はたまた、わざと遠ざけてみたり。色々なアプローチで脚本に向き合えるのが、演劇の面白さだとも思います。

 

 

今回も、今とはちょっと違う時代と、違う環境のお話で、ともすれば「近寄りがたい」「なんだか、おかたそう、わかりづらそう」と言われることもありますが、全然そんなことはなくて、現代に生きる自分たちでも理解できる気持ちが散らばっています。

 

劇団のの「竹の木戸」お楽しみに★